2002年3月19日火曜日

21 ボクの町:2002.03.19

乃南アサ著「ボクの町」(ISBN4-10-142522-1 C0193)を読んだ。
家内が読んだ本であるが、久々にユーモア小説というのを読んだ気がする。新任教養期間を終えた新米おまわりさんが、
職場実習をする話しである。
かつて、中学性や高校生の頃は、遠藤周作、石原慎太郎、獅子文六?などのユーモア小説をよく読んでいたことを思い出した。

2002年3月14日木曜日

20 干し草のなかの恐竜(上):2002.03.14

スティーヴン・ジェイ・グールド著「干し草のなかの恐竜(上)」(ISBN4-15-208298-4 C0045)を読んだ。グールドのエッセイはハードだが面白い。そして、欧米の知識人ならきっと面白いと思われる言い回し、引用、比喩などが各所にちりばめられている。それが、完全に理解できないのつらい。でも、欧米人でも、完全に理解できないのかもしれない。それほどの奥深さがあるから、面白いのかもしれない。
面白かったところ。千年紀のはじまりについて。グールドは2000年派。「人々が決着のつかない些末な問題をめぐって喧々囂々の議論を戦わせたいのではにか。それをしないと、その分のエネルギーを、人殺しに発展しかねいないほんものの喧嘩につぎ込みかねないのではないか。そうとでも考えないかぎり、答えの出ない論争に明け暮れてきた歴史を説明できそうにない」
テニソンの「イン・メモリアル」118節より「時間が成し遂げたこの仕事すべてを沈思せよ」
「われわれのまわりに二元性あるいは二分法がありふれていることには、おそらく理由がある。むろん、自然が対を好むということもあるかもしれないが、それ以上に、人間の頭が二分法を好む構造になっているからなのではないか。」
「新しいアイデアが、それまでとは別の観察方法を強いたのだ。「観察が何かの役に立つすれば何らかの見解を支持するか否定するからだ」」
斉一説と激変説の論争の重大な問題
「変化そのものの本質」について。「人間の文化、生物、物理的な世界は、いずれも無限に変わることが可能で、通常はそれとわからないほどの小さな連続的変化を遂げているのだろうか(斉一説的観点)。それとも、大半の種類や組織の特徴はあくまでも構造の安定性であって、変化が引き起こされるのは、たいていは既存のシステムでは対応しきれないような激変的な動乱をきっかけにした、安定した状態から別の安定した状態への急速な移行というまれな出来事に集約されるのだろうか」
「因果の本質」について。「大規模な変化も、日々観察できる現象を引き起こしている原因と同じ、突飛でなく予想どおりの結果を引き起こす変化の単なる単なる拡張なのだろうか。それとも、ときおりの激変が、予測できない気まぐれな要因を地球の歴史に持ち込むのだろうか」

2002年3月11日月曜日

19 藍色回廊殺人事件:2002.03.11

内田康夫著「藍色回廊殺人事件」(ISBN4-06-273375-7 C0193)を読んだ。
推理小説である。徳島の吉野川を題材にした作品。いつもの作品より、複雑で面白みにかけた。

2002年3月5日火曜日

18 記載岩石学:2002.03.05

学会の雑誌への書評
周藤賢治・小山内康人:岩石学概論・上 -岩石学のための情報収集マニュアル 共立出版, 2002年2月, 272ページ (CD-ROM付き), 3,700円。
岩石学の教科書と呼べるものはいくつかある。しかし、記載岩石学と呼ぶべきものは、そう多くはない。和書で、類書としてまっさきに思いつくのは、都城秋穂・久城育夫著「岩石学I、II、III」の全3巻および黒田吉益・諏訪兼位著「偏光顕微鏡と岩石鉱物」の2つである。どちらもいい書籍で、いまだに多くの学生および研究者も利用しているのではないだろうか。
本書は、タイトルどおり、岩石を記載するときに不可欠となる知識、かつ重要な事項が整理されている。そして、岩石学における最新情報ももちろん盛り込まれている。本書の構成は、岩石の分類、火成岩の組成・分類・組織、火成岩の微量元素組成と同位体組成、火成岩の記載的特徴、火成岩体、変成作用、変成岩の分類と命名、変成作用の限界と進行過程、変成相と変成相系列、変成岩の組織、広域変成岩の記載的特徴、局所変成岩の記載的特徴、堆積岩の形成と分類、の13章からなっている。
本書の特徴はいくつもあるが、岩石を中心としている点と、CD-ROMが付属している点であろう。他の記載岩石学の書では、偏光顕微鏡の扱いがあり、造岩鉱物についても鉱物の分類に基づいて網羅的に記載されている。本書でも、鉱物の記載はあるが、必要最小限にとどめられている。そして、岩石の説明の中に必要最小限の造岩鉱物の説明がおさめられている。それは、岩石の記述に重点を置かれているためと考えられる。
この種の書籍では、カラーによる例示が、非常に重要である。もし、その要求を満たすなら、書籍の価格が高くなり教科書として高価になるという経済的デメリットが生じる。洋書には、優れた岩石写真や偏光顕微鏡写真のカラー図鑑があるが、和書では少量が口絵として添付されるにすぎない。この点が、従来の記載岩石学の教科書の欠点であり、残念な点であった。本書でも、多数の写真図版が小さいサイズで挿入されているにすぎない。しかし本書では、その欠点を補うために、写真のすべてと図表の一部が、CD-ROMにおさめられている。非常によい措置であると考えられる。今後、教科書的書籍で、カラー図版が必要な場合は、本書を例とされると良いと考えられる。
さて、最後に、欠点というか特徴というか、判断に迷う点を一つ述べよう。それは、堆積岩の記載についてのアンバランスである。火成岩と変成岩の記述に比べて、堆積岩の記述はあまりに少なく、アンバランスである。本書の著者である周藤氏は火成岩、小山内氏は変成岩を専門とされている。従って、堆積岩に関する記述が少ないのはしょうがないことかもしれないが、できれば、充実して欲しかった。しかし、本書を、火成岩および変成岩の記載のための教科書とすれば、変成岩の理解のためには、堆積岩の知識が不可欠である。従って、必要最小限の堆積岩の説明がなされていると考えれば、この程度で充分なのかもしれない。
本書は良書であり、記載岩石学の教科書として、学生だけでなく、研究者にも薦めたい書である。そして、下巻の解析岩石学へも期待が大きい。早く上梓されんことを祈っている。

2002年3月2日土曜日

17 ユタが愛した探偵:2002.03.02

内田康夫著「ユタが愛した探偵」(ISBN4-19-850547-0 C0293)を読んだ。
沖縄のユタと琉球王朝、そして日本と琉球との関係にふれた推理小説。
面白かった。

16 量子宇宙干渉機:2002.03.02

ジェイムズ・P・ホーガン著「量子宇宙干渉機」(ISBN4-488-66319-2 C0197)を読んだ。
本格的SFである。本編に必要なら、物理学すら構築する。すごい才能である。
登場人物の中にサム・プニュンサクというタイの仏教哲学者があり、彼の周辺で含蓄のある会話が多数なされる。その中に以下のようなものがあった。
「意識は、人生が提供する混沌とした選択肢のなかで、より良い未来へと進む方法を学ぶのだと。簡単にいうと、社会というものは、一定の制約に従ったりさまざまな基準を守ったりすることで、長い目で見た場合にはかえって良いものとなって、”悪”とは対照的な”善”という特性をもつようになる。さまざまな宗派や哲学派が、本質的には同じメッセージをことなったやりかたで説明してきた―たいていは、なんらかのかたちで善悪を伝える”神々”という概念によって。1千年ものあいだ、哲学者たちは、道徳の規範を論理という土台から合理的に導き出そうとして、失敗を重ねてきた。」
「きみはまだ若いからすべてを知っているわけではないだろうが、話すぶんの二倍は耳をかたむけるべきだということはわかるはずだ。だからこそ、神さまはわれわれにふたつの耳とひとつの口をあたえたのだろう?」
「憎むことをやめたら、人は他者のなかにみずからを見るでしょう。そうなったとき、どうして他者を苦しめようとするする気になれますか? 人びとは、何千年ものあいだ、人間の非道な行為を抑制するために、恐怖や、暴力や、道理や、説得をもちいてきて―すべて失敗に終わりました。しかし、効果を発揮するには、強大な警察も大がかりな法令も必要ありません。同情の念さえあればいいのです。他者の苦しみや恥辱を感じるときに、どうして彼らを傷つけることができるでしょうか?」
「人びとが、なにかを手に入れるには他人からなにかを奪わなければならないと考えるかわりに、お互いに助け合うということ。だれかが得点したからといって、だれかが失点する必要はないのよね?」
「わたしたちが見ている世界は、いかなる人間の理解力もおよばないプロセスによって支配されており、人間の力の限界というものを思い知らされるばかりです。私たちが体験することは、わたしたち自身の判断や行動に応じて、なんとも複雑なわかりにくいかたちで決定されます。ということは、しるしを読みとる方法さえわかれば、より良い道すじを見つけられすはずなのです。かれはまさに、まともな宗教がいわんとしていることにほかなりません。そのような作用をあらわす手段としては、”神”という概念も有効なものと思われます」
「なにかを理解したいと思うなら、はじめから答えがどうだろうと気にしないという決意をもとなければならないということだ(中略)たとえば、ニュートン力学や近代天文学が受け入れられるためには、人びとが、惑星の運行に神や天使がかかわっていて、それを信じないものは地獄に落ちるのだという信念をそっくり捨てる必要があった」
含蓄のあることばである。