2002年6月27日木曜日

31 哲学の教科書: 2002.06.27

中島義道「哲学の教科書」
(ISBN4-06-159481-8)
を読んだ。
久しぶりに、本を読み終えたような気がする。

この本は、哲学することの根本的なことをあつかったものである。
非常に面白かった。
そして、私はとってもじゃないが哲学者にはなれないことがわかった。
それだけでも、この本を読んだ価値があった。
この本では、哲学の根本的問題として、
死、時間、因果、意志、私、他者、存在
などについて、そのさわりを紹介している。

抜書きをしようとおもったが余りに多いのであきらめた。

2002年6月11日火曜日

30 はじめての哲学史講義: 2002.06.11

鷲田小彌太著「はじめての哲学史講義」(ISBN4-569-62171-6)を読んだ。わかりやすくさらりと哲学史を書いている。読みやすく、さらりと読めた。
デカルトの「わたしは考える。ゆえに、私は存在する」(cogito, ergo sum)は、
「第一原理。「思考」と「物質」は自立している。思考世界も、物質世界も、他に依存することなく存在している。第二原理。人間の思考はこの物質世界を「認識」(くまなく理解)することができる。第三原理。人間は平等である」
デカルトは物質世界を「明晰・判明」(clara et distincta)という方法で認識できるとした。デカルトの思考技術の方法(方法叙説)は、
「第一、即断や偏見を避け、疑う余地のないもの以外は、自分の判断の中に入れない。
第二、健闘しようとするものをできるだけ、また解決するに必要なだけ、多数の小部分に分割する。
第三、最も単純なものから、段階を踏んで、最も複雑なものに達するように、自分の思考を秩序だてて働かす。
第四、何一つ落とさなかったと確信するほど、広く健闘する」
ヒュームの哲学を、知覚一元論、不可知論、感性論をまとめ、
「1、知覚に現れない外界存在(物質)については、哲学は何もいうことができない。
2、知覚に現れた存在は、「知覚の束」である。この「知覚」は「断片」(瞬間)である。
3、知覚の断片を集合し、知覚の束に「同一性」を与え、ある秩序をもった存在にするのは、反復(繰りかえし同じことが生じる)であり、習慣である。
4、それゆえ、ある「原因」とそれに続くある「結果」の間には「必然性」はない。加工に同じことが繰りかえし起こったから、今度も同じことが起こるという蓋然性があるにすぎない。
5、ある原因から、ある結果が生じるという推論(理性認識)は、すでに過去になった知覚の連合にすぎない。理性はカームパッション(calm passion熱の冷めた感情)なのだ。
6、人間と人間集団を基本で動かすのはパッションの力(感性)である。反復、習慣、先例、伝統という形で個人と社会を基底で支配している衝動力、無意識との共同の無意識である。
私が思うに、ヒュームの考えは、「知覚の束」を集めて「同一性」を与え、「反復」であり、習慣によってある秩序が与えられている。そこには、原因と結果という必然性がなく、習慣による蓋然性しかない。というあたりは、面白い。もし、地質学から、原因と結果という必然性がきえたら、地質学という学問は成り立つか、蓋然性だけで地質学が成り立つかどうか、などというのは、面白い命題である。
「構造主義の登場によって、ヒューマニズムか反ヒューマニズムか、資本主義か社会主義か、階級闘争か否か、知か無知か、科学か神話か、等の「二項対立」的構図ではことがらが解決しないことがわかるようになります」

2002年6月3日月曜日

29 構造主義科学論の冒険: 2002.06.03

池田清彦著「構造主義科学論の冒険」(ISBN4-06-159332-3 C0140)を読んだ。久しぶりに、しっかりしたものを読んだ。
構造主義に基づいた科学論の展開である。面白かったが、やはり理解できない部分があった。
本文より。
「 理論(構造)というのは我々の頭の中にあるのであって、我々とは独立にどこかにあらかじめころがっているわけではありません。理論は外部世界の中に発見するものではなく、我々の頭の中に発見するものです。頭の中にある何かを発見することを発明と呼ぶとするれば、理論は発明されるべきものなのです。
ここで人間の脳の機能は、何らかの限界性を持つと考えれば、人間の脳が発明し得る可能な構造(理論)はすでにあらかじめ決定しているとも考えられます。すなわち我々は、あらかじめわかる事しかわからないのです。」
「ダーウィンの功績は、生物はすべて進化しうる構造(形式)をもっていること明らかにし、その形式を記述したことにあります。すなわちダーウィンは、生物であることと、進化をすることは実はおんなじだと言ったわけです。」
「変異の内部形式を問わなくとも、生物の変化(小進化)は説明できるでしょう。しかし変異の内部形式を問わなければ、壮大な進化史の全部を説明できっこない、と私は考えます。」
「多元主義の原則はポジティブなものでなく、ネガティブなものです。他の文化や伝統を抑圧する一元論的なルールを認めない、というのが多元主義の唯一のルールです。人々の恣意性の権利を擁護するとは、制度、文化、伝統自体を擁護するのではなく、それらの無根拠なルールに対する人々の選択の自由を保障するということです。多元主義社会の規範(もちろんこれも無根拠なものです)は人々の恣意性の権利(すなわち自立的な選択と拒絶)を勘案することなく、不可避にこれを侵害する制度を排除しよう、ということだけです。」