2003年3月26日水曜日

26(104) 巨人の肩に乗って: 2003.03.26

メルヴィン・ブラック著「巨人の肩に乗って」
(ISBN4-88135-788-3 C0045)
を読んだ。
企画としては面白いのだが、
内容が面白くなさ過ぎた。
インタビューで構成されているが、
あまり整理されていないような気がした。
過去の天才科学者と現代の有名研究者の
肩に乗って作られた企画だが、
構成が面白くないような気がした。

ウォルパート「科学の定義はうちに潜む原則を見ること、
そして、理解することです。(中略)
自然と距離を置き、自然がどのように作用するのかを
理解しようとした。 (中略)
まちがっているかもしれないが、それはどうでもいい。
やり方が問題なのです」

ウォルパート「科学は日常の思考法とはちがって、
内面的な整合性を必要とします」

デイヴィス「ガリレオの最大の業績は、
それまで別々のものとされていた三つの分野ー
数学と物理学と天文学ーを結びつけたことだと思います」

デイヴィス「科学と呼ばれるものは、
いわゆるヨーロッパ・ルネサンス期に
絶大な影響力をもっていたふたつの伝統に
よりかかっていると、わたしは考えています。
ひとつめは、人間は論理と理性を応用することによって
世界を理解することができるという、古代ギリシア哲学です。
ふたつめは、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教
といった一神教です。
つまり、われわれは立法者が理にそって定められた世界に
生きていて、自然界にも、天が定めた法ともいえる
秩序があるという考えです」

デイヴィス「科学が生まれるには非常に特殊な
世界観が必要だし、ほかの文化圏にそんな世界観が
ないことを考えると、大宇宙のどこかに
知的生命体が存在していも、
そんな世界観はもちえないのではないか、と思うのです」

デイヴィス「宗教の役割は世界のあり方を解釈すること
であって、断言することではないのです。(中略)
社会における宗教の役割を考えれば、
はっきりした役割がふたつあることに気がつきます。
ひとつは、大宇宙の創造者たる神に関することであり、
もうひとつは、どのように生きていくべきかとか、
善悪の問題とか、一個の人間としての責任であるとか、
そういったことです」

グリビン「ニュートンの研究でもっとも重要なのは、
彼が成し遂げたことではなく、やり方です。
理論や仮説を検証するために実験をおこなうという、
こんにちの科学的手法を考案したことこそ、大切なのです。
彼の前にそういうやり方をしていたのでは
ガリレオだけでした」

グリビン「三世紀かが過ぎたいま、ビックバンとか、
宇宙がどうやって生まれたのかを理解できるまでになった。
これはなずべて、もとをたどれな、複雑そうに見えることでも
単純な法則で説明できるという、
ニュートンの考えに行き着くのです」

「リース「アインシュタインの理論はニュートンの理論よりも
視野が広いのです。(中略)
ニュートンの法則が当てはまらないところでも、
当てはまるということです。
ニュートンには恣意的に見えるようなところでも、
アイシンシュタインの目には、自然に映るのです。
あるいは必然といってもいいですが。
アインシュタインがニュートンよりも深いところを見ていた
というのは、そぷいうことをいっているのです」

トマル「自然哲学という言葉は、ロイヤル・ソサエティが
使っていた言葉で、こんにちの物理学、化学、地質学などの
分野をすべてひとまとめにした呼び名です。
自然史(博物学)は植物などを扱う学問でした」

ファラディー「数学者がこういった主題で論文を書くとき、
その結果を、数学者向けの言葉だけでなく、
簡単で使いやすい言葉でも書いていただければ
すばらしいとおもうのですが、いかがでしょうか?」

グールド「自然選択の理論とは、
自然に関する三つの明白な事実に、
三段論法といってもいい推論をくわえたものにすぎません。
第一に、種および生物は生き残ることができるより
はるかに多くの子を生む。(中略)
第二に、あらゆる生物は異なる。(中略)
第三に、自然選択とは、系統樹的な理論だから、
その違いは遺伝する。
一部しか生き残れないのだから、だいたいにおいて、
生き残るのは、その土地の環境によりよく適応し、順応し、
適合するものとなるのです」

グールド「喜んだり不安に思ったりする人間に共通する
感性、すなわち人間性とも呼ばれる特性のほとんどは、
じつのところ、適応の原理にしたがって、
何らかの理由で脳が大きくなった結果、
副次的に生まれてきたのものなのです」

グールド「世界を変えるのは、ちっぽけな考えではなくて、
どのように自然が働くのかを我慢強く謙虚に
理解していくことだという主張は、ダーウィンの
基本理念にも当てはまります」

メイ「この理論(カオス理論)がいっているのは、
不確実な要素を排除した、考えうるもっとも単純な法則が、
予測不可能なくらい複雑な結果をもたらすことが
あるということなのです」

「アインシュタインの理論は、実験室での研究から
生まれたのではなく、彼のいう「思考実験」なるものから
生まれた」

グリビン「それはそれでとてもすばらしいことですが、
何の役にも立たない。
つまり、一般相対性理論の実用的な使い道は、
まだだれも思いついてないのです」

デイヴィス「わたしは、科学は真理を追い求めるもの
ではないと思います。
世界を信頼できる方法で描くことなのです」

「科学者はなぜ科学するのか?
ワトソンーどうしてものごとが起こるのかを知りたいだけで、
そういったことはずっとむかしから遺伝で
受け継いでいることだと思います」

「いままでみてきたようにー古代ギリシア人から数えて
ほんの一〇〇世代で、人間の脳にそなわった
科学的に思考が、迷信や無知の呪縛を解き、
驚くべき任務を開始したのだから。
みずからの創造主の探求とさえいえる任務を」

2003年3月14日金曜日

25(103) 仮説実験授業入門:2003.03.14

板倉聖宜・上廻昭編著「仮説実験授業入門」
を読んだ。
仮説実授業の似たような本を読んでいると、
同じような内容が書かれているの
どれがどれが違いがよくわからなくなってくる。
この本は、仮説実験授業のやり方を中心に書いた本である。
類書がまだ読んでないがある。

24(102) 未来の科学教育:2003.03.14

板倉聖宜著「未来の科学教育」
(ISBN4-337-65923-4 C3337)
を読んだ。
仮説実授業の実例を紹介している。
これは、多くの実践者の例からもよく分かっている。
教育を受けるものたちが、楽しむことは、重要なファクターである。
しかし、大人も楽しいだけの授業を望んでるのだろうか。
博物館にいたときは、それでいいと思っていた。
しかし、教養というべき、高度の知的レベルへと内容を求める時、
これだけでいいのかという気もする。
しかし、どうすればいいのかというアイデアはまだない。

23(101) 仮説実験授業:2003.03.14

板倉聖宜著「仮説実験授業 <ばねと力>による具体化」
を読んだ。
仮説実授業の核心にあたる部分である。
なかなかおもしろかった。
そして授業自体も面白かった。
これはこれでいいもである。
しかし、私の目指すものはこれではないことがわかってきた。
板倉氏がおこした科学教育の方法論は学ぶべき点が多くある。
非常に参考になった。

22(100) ダイヤモンド:2003.03.14

マシュー・ハート著「ダイヤモンド」
(ISBN4-15-208440-5 C0022)
を読んだ。

ダイヤモンドにまつわる私の断片的知識の一部を補完してくれた。
これでも、まだまだ一部のような気がする。
しかし、完全というものは、ありえないのであろうから、
これでよしとすべき本である。
ドキュメンタリーとしては面白かった。

21(99) 二つの文化と科学革命:2003.03.14

C.P.スノー著「二つの文化と科学革命」
(ISBN4-622-04970-8 C1010)
を読んだ。

1959年に講演した内容で、非常に有名な本である。
私は、読むまでの印象とかなり違っていた。
やはり、原典をちゃんと読むべきである。
この本では、講演後の批判に対する反論、
そして11の批判論文も紹介されている。

「私が望んだことは、それが次の二つのことについて
新しい動きを起こす呼び水となるぐらいのことであった。
第一には教育について、
第二には富み、特権をもつ人びとが不幸な人への関心をもっと深めることにあって、
後者について講演の後半で述べたことは、私自身の心になかでいつも重要な位置を占めていた」

「われわれ進んだ西欧社会は共通の文化ということについては、
その気配さえも失ってしまっている。
われわれが知っている最高の教育を受けた人びとは、
自分が主として抱く知的関心の分野で、
すでに意思疎通ができなくなっている」

20(98) ゲーデルの哲学:2003.03.14

高橋昌一郎著「ゲーデルの哲学」
(ISBN4-06-149466-x C0241)
を読んだ。

面白かった。
ゲーデルの完成性定理と不完全性定理の概略が
なんとなくわかったような気がした。
しかし、詳細は、記号論理学が理解できないと
よくわからないはずだ。

「さらに難解さを増幅させるのは、
不完全性定理そのものが進化していることある。
たとえば、ゲーデルの証明で中心となったのは「ω無矛盾性」
とよばれる概念である。
それがロッサーの証明では「単純無矛盾性」に拡張され、
タルスキーの証明では「真理性」に変わり、
チューリングの証明では「計算可能性」が用いられ、
最近のチャイティンの証明では「ランダム性」になっている」

「発言と事実が一致すれば真であり、
事実の一致しなければ偽であると考えている。
この考え方は、「真理の対応理論」と呼ばれ、
論理学で一般に適用されているものである。」

「真か偽か決定できる事実は、「命題」と呼ばれる。
命題は、発言でも文でもなく、事実そのものである」

「命題の関係を研究する学問分野を、「命題論理」と呼ぶ」

「幾つかの前提から一つの結論を導くような形式に、
命題に並べることができる。
このような形式で命題が並んだものを「推論」と呼ぶ」

「モダス・ロレンス」(化言三段論法否定式)」

「推論の研究で重要になるのは、
前提が結論を論理的に導いているか否かの問題である。
論理学では、ある推論において、
すべての前提が真ならば結論も必ず真であるとき、
その推論を「妥当」と呼ぶ。
妥当な推論においては、
すべての前提が真であるにもかからわず、
結論が偽になることは不可能である」

「彼は(アリストテレス)、
思考の道筋を明確にしたかったのである」

「数学に「証明」の概念を最初に持ち込んだのが、
ピタゴラスなのである」

「ユークリッドが、幾何学を総合的に体系化した。
彼は、「公理」と呼ばれる命題から出発して、
論理的な推論だけを用いて、
「定理」と呼ばれる新たな命題を導くシステムを構築した。
このようなシステムを「公理系」と呼ぶ」

「これらの命題を、理性的な人間ならば、
誰もが疑いなく受け入れる「自明の共通概念」とみなした」

「公理1 同じものに等しいものは互いに等しい。
公理2 等しいもに等しいものを加えれば、全体は等しい。
公理3 等しいものから等しいものが 惹かれれば、残りは等しい。
公理4 互いに重なり合うものは互いに等しい。
公理5 全体は部分より大きい。」

「ユークリッドは、これらの公理に加えて、
「公準」とよばれる
幾何学的公理を定義し、それらを用いて、
465におよぶ数学的定理を証明した」

「ユークリッド幾何学は、
自然界の真理を表す「唯一」の幾何学とみなされてきた。
17世紀のニュートンは、
絶対時間・絶対空間を前提とする力学体系「プリンキピア」を構成し、
18世紀のカントは、
人間の時間・空間認識を「先天的形式」とみなす哲学を打ち立てた」

「ラッセルとホワイトヘッドは、
命題の主語・述語に相当する部分にも踏み込み、
量化された命題がも厳密に扱えるようにした。
これが、「述語論理」である」

「システムSのすべての証明可能な命題が真であり、
すべての反証可能な命題が真でないとき、
Sを「正常」と呼ぶ」

「証明可能あると同時に反証可能である命題がSに存在しないとき、
Sを「無矛盾」と呼び、
それ以外のときSを「矛盾」と呼ぶ」

「システムSの命題Xが証明可能か反証可能のどちらかであるとき、
XをSで「決定可能な命題」と呼び、
それ以外のときXをSで「決定不可能な命題」と呼ぶ」

「システムSが正常であるとき、真であるにもかかわらず、
Sは証明可能でない命題が存在する。
この命題を「ゲーデル命題」と呼ぶ」

「第一不完全性定理 システムSが正常である時、
Sは不完全である 」

「第二不完全性定理 システムSが正常であるとき、
Sは自己の無矛盾を証明できない」

自己言及から、ゲーデル命題が生じる
相互言及からもゲーデル命題が生じる

「ゲーデルは「証明可能性」はシステム内で定義できるが、
「真理性」はシステム内で定義できないことに気付いていた」

可能性・必然性を扱うのが様相論理
信念・意識について扱うのが認知論理
過去・現在・未来に対応する命題を扱うのが時制論理
判断・意見に関する命題を扱うのが義務論理

「様相論理は、古典的な命題論理あるいは述語論理に、
一個の未定義論理記号を加えるだけで、
これらの文の解釈を可能にするように公理化されたシステムである。
様相論理の意味論を変更することによって、
認知論理・時制論理・義務論理としても解釈できるようになっている」

「ヴィトゲンシュタインが導いたのは、
「語りうることは明らかに語りうるのであり、
語りえないことについては沈黙しなければならない」
という結論であった」

「「論理哲学論考」の基調にある「写像理論」は、
事実の総和としての世界と、命題の総和としての言語に、
真理の対応関係が存在することを前提としている」

「カントールは、「数学の本質はその自由にある」と述べたが、
直感主義は、その「自由」を数学者自ら放棄する主張とも考えられた」

ゲーデル・ロッサーの不完全性定理
Sは、真でもあるにかかわらず決定不可能な命題Gを含む。
さらに、Sの無矛盾性は、Sにおいて証明不可能である
不完全定理の哲学的帰結
全数学を論理学に顕現することは不可能である。
全数学を公理化することは不可能である。

ゲーデル・タルスキーの不完全性定理
Sの真理性は、S内部では、定義不可能である。

ゲーデル・チューリングの不完全性定理
すべての真理を証明するチューリング・マシンは、存在しない。

チャーチ・チューリングの提唱
計算可能性は、チューリング・マシンの計算可能性と同等である。

人間機械論の仮説
思考は、アルゴリズムに還元できる。
人間は、ちーリング・マシンである。

チャーチの非決定性定理
任意のチューリング・マシンが何かを導くかを
事前に決定するアルゴニズムは存在しない。

チューリングの停止定理
任意のチューリング・マシンがいつ停止するかを
事前に決定するアルゴニズムは存在しない。

反人機械論の仮説
思考は、アルゴニズムに還元できない。
人間はチューリング・マシンを上回る存在である。

ゲーデル・チャイチンの不完全性定理
任意のシステムSにおいて、
そのランダム性を証明不可能なランダム数GがSに存在する。

2003年3月1日土曜日

19(97) 熱とはなんだろう: 2003.03.01

竹内薫著「熱とはなんだろう」
(ISBN4-06-257390-3 C0242)
を読んだ。

エントロピーの詳細をわかりやすく説明した本である。
なかでは、黒体放射からブラックホールのホーキング放射まで
扱われている。
非常にわかりやすい本であった。
中に、冗長な会話があったが、読む人によっては、
この会話がいいという思う人もいるかもしれない。
しかし、パターンとしては、
全編を会話でとおすか、
平文で通すか、
この書のように会話を織り交ぜるか
のどれかにしかならない。
この会話では、質問を投げかけている構成だが、
結構重要な質問である。
本文がくだけた文章としているので、
本文で十分容易さが伝わっている。
非常にわかりやすかった。
こういう本は重要であろう。

18(96) 哲学者かく笑えり: 2003.03.01

土屋賢二著「哲学者かく笑えり」
(ISBN4-06-273321-8 C0195)
を読んだ。

現在、イギリスの大学について興味があるので読んでみた。
本書の中に、「滞英往復書簡録」があったからだ。
独特のユーモアのエッセイであった。
今、このようなエッセイを読む余裕がない。
ただし、面白いことは面白い。
文庫本を2冊注文したが、もう一冊はいつ読めるかわからない。