2003年4月24日木曜日

31(109) 相対論がもたらした時空の奇妙な幾何学: 2003.04.24

アミール・D・アクゼル著
「相対論がもたらした時空の奇妙な幾何学」
(ISBN4-15-208446-4 C0042)
を読んだ。
彼の本は面白い。
大学の統計学の教員が、このような本を書くとは
アメリカの研究者のすばらしさを感じる。
また、彼が書くような数学的な内容を受け入れられる
アメリカの知的階級の多さに驚かされる。
いい本であった。

「宇宙は、膨張を加速している」

アインシュタインは、
「若い研究者に対し、創造的な科学者にとって
理想的な状況は何か、ということを話したことがある。
それは、学生の教授義務や大学機構に関わる職務、
あるいはキャンパスにおける政治的配慮がつきものの
伝統的な大学の地位にあることではなく、
むしろ研究のためにあるていど
自由な時間をもつことがきる、
卑しい、もしくは「知的ではない」仕事をもつことだ、
というものであった」

「ユークリッドは彼の幾何学を構成する要素を
点、直線、面と定義した(中略)
(1)任意の点から任意の直線を引くこと。
(2)直線を連続して延長すること
(3)任意の点と距離(半径)とをもって円を描くこと。
(3)すべての直角は互いに等しいこと。
(5)ある直線が2つの直線に交わり同じ側に作る内角の
側が二直角(180度)よりも小さければ、
この二直線をどこまでも延ばせば、
それらは二直角より小さい直角のある側で交わること。」

「第5公準は、奇妙である。
他の4つが簡潔で明白であるのに対し、
5番めは長ったらしい。
多くの数学者にはの目には、第5公準は自明というより、
証明されるべき定理のようにみえた」

「彼は重力(あるいは場)が存在しているところでは、
空間の幾何学は非ユークリッド的であることを導いたのだ」

「ここで彼は計量テンソルgμνに
ギリシア文字λで表される簡単な定数を
掛けた項を加えている。
この修正は、有効な方程式であれば
取りこぼしてはならない、
重要な物理上の性質が保たれるよう、
慎重に考え抜かれたものである。
アインシュタインがこの方程式に加えた変更は、
惑星の運動などの局所的な現象には
些細な影響しか与えないが、
宇宙規模のスケールの大きな現象については
多大な効果が生じるように企まれていた。
じつに巧妙な手際
-アインシュタインならではのものであった」

「このモデルはでは、宇宙は静的であり、
膨張もしなければ、収縮もしない。
その形状は球であって、限りがあって、一定の曲率をもつ」

「宇宙定数の導入を通じて、
アインシュタインは科学に寄与する数学的手法を
新たに想像した-そして、彼本人でさえ、
それを世界から取り上げることはできなかった。
この手法が宇宙の理論を説明しようとする
物理学者と工夫研究者にとって有用であるかどうかは、
いまや重要な問題となっていた」

「宇宙には質量にもとづいたどの理論を
成り立たせるにも十分な質量がなく、
目に見えない力があらゆるものを
より速くより速くと押しのけているのだ、と」

「ネタ・バーコールは、宇宙の質量密度は、
膨張と最終的な崩壊を遅らせるのに必要な密度の
20パーセントにしかならない、と結論した」

「近代宇宙論における数々の謎を解くかもしれない、
この重要な問題の解決策として
当然浮かび上がってくるのは、”宇宙定数を宇宙変数
-アインシュタインの方程式に含まれる時間、
あるいはその他の変数関数-
に変えてしまう” というものだろう。
しかし、そのすべてを知る者がどこにもいない。
アインシュタインは40年以上前になくなっており、
彼が宇宙定数を導入したときにもっていた、
自分の方程式のをつくり変えようとする勇気、洞察、知識を
持ち合わせた者は、だれひとりいなかったらしい」

「クエーサーはすべてわれわれから時間的空間的に
非常に離れたものだが、
ほとんどがほど同時期に創造されたことになる」

「アインシュタインは、わが手に入る
数学的手法の不足ゆえに、
自分の努力に限界があること理解していた」

「すべての学問領域が他の領域の発展による
助力を得られるようになってはじめて、
われわれは自然の究極的法則を理解し、
人間なりに見積もった神の方程式を
定式化できるようになるのかもしれない」

2003年4月13日日曜日

30(108) ゼロエミッションと日本経済: 2003.04.13

三橋規宏著「ゼロエミッションと日本経済」
(ISBN4-00-430491-1 C0236)
を読んだ。

「日本人には、昔から自然と共生してきた
長い伝統があります。」

「政府がリーダーシップを取らないのが悪い、
企業の責任がある、などと評論家的な言辞を弄していては、
時代を前に進めることはできません。
政府が悪ければそれを改めさせればよい、
企業行動に問題があれば、具体的にそれを指摘し、
改善を求めればよい。
民主主義国家では、国民が主役であり、
国民の行動力こそが時代を変えるエネルギーに
ならなければなりません。」

「百の説法より、ひとつの実行です」

「ゼロエミッションとは、廃棄物ゼロといういみです。
廃棄物をゼロにすることで、
資源を100%有効に利用し、同時に環境負荷を
まったく伴わない社会を目指すための「キーワード」です。」

「10世紀を支えた経済思想は、「劣化しない、無限の自然(地球)」が前提だった」

「今日の我々は「劣化する、有限の自然(地球)」を前提に
物事を考えていかなければならないことを知っている。」

「山口さんは言う。
私は金儲けだけが目的で事業を起こしたのではない。
・北海道の自然を守るためには、
何が大切で、何が無駄なのか
・北海道の人間を守るためには、
何が大切で、何が無駄なのか
・北海道の地域を守るためには、
何が大切で、何が無駄なのか
北海道の自然、人間、地域を守るために、
残された生涯をかける覚悟であると。」

「ISO14000シリーズは、(中略)
環境分野の国際規格のための番号である。」

「この時代(江戸時代)を支えた経済システムは、
自然の生態系と似て、無駄がなく、
環境保全型の「クローズドシステム」になっていた。
正確環境も清潔で、人間と自然がうまく調和していた。
自然を構成する一員としての人間が
十分に認識されていた。
循環型の経済社会を支えたのは、地元を住みよい、
持続可能な地域として維持していこうとする地域住民の
「コミュニティ・スピリット(愛郷精神)」にほかならなかった。
それぞれが持つ能力や労働力を提供して地域のために
奉仕する精神が、地域の環境を守るうえで
大きな成果をあげてきたのである。」

北九州方式
「第一は、市民の一人一人が
草の根のレベルで参加すること。
第二は、行政や企業を批判しているだけでは、
問題解決にならないという共通認識があること。
第三は、市民と行政、企業が情報を持ち寄り、
協力して問題可決にあたること。」

新しい常識の提案
・有限で、劣化する地球
・植物あっての動物
・人類だけが増え続けることはできない

29(107) 北の木と語る: 2003.04.13

西川栄明著「北の木と語る」
(ISBN4-89453-248-4 C0072)
を一部読んだ。
この本を買ったのは、
「桂」という木に興味があったからだ。
我が家は道産の桂を30%つかった
特徴的な家だからである。
この本によれば、西洋には桂という木がなく
英語でも"Katsura"というそうである。
カツラ(桂)は、
カツラ科の落葉広葉樹で、
学名は、Cercidiphyllum japonicum Sieb. et Zucc.
となる。
別名、コウノキ、オコウノキ、ショウユギがある。
日本全国にあるが、
日本の固有種に近い。
いまや北海道でも、天然のカツラ林はあまりないようである。
でも、北海道のカツラは、
「カツラといえば、日高のヒガツラ(緋桂)」
と呼ばれるほど良材とされているようだ。
緋桂とは、日のように濃く明るい赤紅色になるかである。
我が家も時間がたった部分は、
非常のいい色の木となっている。
そんなところは、ぜひ残して欲しいものだ。
ハート型とかわいい葉の桂を、
近所の原生林へ探しにいこう。

2003年4月2日水曜日

28(106) 北海道でいちばん住みたい家: 2003.04.02

山口昭・岩瀬孝子著「北海道でいちばん住みたい家」
(ISBN4-7979-8513-5 C0079)
を読んだ。
「世界でいちばん住みたい家」の北海道版である。
まあ、わかりやすかった。

27(105) 立花隆秘書日記: 2003.04.02

佐々木千賀子著「立花隆秘書日記」
(ISBN4-591-07659-8 C0095)
を読んだ。
立花隆の裏話がわかって面白かった。
しかし、最後の解雇のところがいただけなっかた。
いうべきでない、佐々木氏の評価が
これで下がるような気がする。
それまでは、有能な秘書であったのに、興ざめした。