2002年7月17日水曜日

35 はじめての構造主義: 2002.07.17

橋爪大三郎著「はじめての構造主義」
(ISBN4-06-148898-9 C210)
読んだ。
非常にわかりやすく書いてある。
これも、多くの重要な点があったのだが、多すぎて、省略する。
この書は、永久保存である。

構造主義のおこなうとしていることが、よくわかった。
構造主義が目指したことは、
より人間に違い部分を解析的に調べることではなかったのか。
たとえば、言語学、人類学、民族学、精神学、神話、
などなど。
そして片や崩壊しつつある自然科学への結合も可能なのかもしれない。

でも、構造主義も非常に極端な還元主義ではないかと思う。
還元主義はわかりい。
でも、還元による要素から構造をつかんだとき、
その構造が、本当に真の姿なのだろうか。
自然科学が犯した過ちを、
人文科学が犯しつつあるのではないだろうか。
構造主義の祖レヴィ・ストロースによれば、
「構造主義には三つの源泉がある。
マルクス主義、地質学、それに精神分析。
これらに共通するのは、
目に視える部分の下に、
本当の秩序(構造)が隠れている、
と想定している点だ。
あるところまで調べがすすむと、急にそれがあらわれてくる。」
という。

(以下、本文よりメモ)
ソシュール「一般言語学講義」
ことばが持つ意味(言語として機能する)のに、歴史は関係ない。
ある時点で、ある範囲の人々に規則がわけもたれていれば、それで十分である。
言語の機能を知るのに、その歴史を捨象する(わざと考えないようにする)ことができる。
共時態:歴史を捨象したある時点の言語の秩序
通時態:共時態からつぎの共時態へ変化していく言語の姿
ラング:共時態の中でも人々に共通に分けもたれている規則的な部分
パロール:個々人にゆだねられている部分
言語学はまず、共時態のラングを研究対象にすべきである。
言語は、物理現象ではない。
物理現象として2つの面
言語名称目録説という面:言語の指し示す対照が物質的な存在である
言語が異なれば世界の区切り方も当然異なる。
言語の恣意性:言語が示すのは世界の実物ではなく、世界から勝手に切り取ったものである。
物理的な音声によってなりたっているという面:
言語が異なれば、どこにどういう区別を立てているかはことなってくる。区分の立て方が恣意的である。
「言語は差異のシステム」とか「対立のシステム」と表現される。
言語の恣意性を支えるのはメカニズムである。
シニフィアン:記号表現、意味するもの、能記
シニフィエ:記号内容、意味されるもの、所記
記号(シーニュ)=シニフィアン+シニフィエ
ここの言葉や記号がいかなるものかは、記号システムの内部の論理だけによって決まるので、それより外部の現象(実態)には左右されない。

音素
言語学にとって大切なのは、音を人びとがどう区別しているかである。
恣意的であるから、一種の文化、もしくは社会制度であるので、自然科学の方法ではだめである。
ヤーコブソンは、音素を弁別特性のの束と考え、音素の対立は、二項対立の組み合わせで表現できるとして。

機能主義
歴史主義、伝播主義に反対。構造主義もおなじ。
機能のみで説明する点が問題。
目的と手段の連鎖が循環論になる。
機能では説明できないことがある

理論とは、ややこしい問題に取り組むとき、思考の手助けになってくれるもの。

社会の基本的な形は、交換のシステムである。
純粋な動機(交換のための交換)にもとづくものである。

神話学の研究の手順
神話の集合:似た神話をひと束にして考える。
神話素に分割:神話の一番小さい単位に分割
対立軸の発見:神話素を貫くもの
表の作成と解釈:神話素を対立軸で並べて表にする。そこからプラスαを見出す。
レビ・ストロースの構造主義の影響
神話分析が、テキストを破壊してしま無神論の学問
テキストは表層にすぎず、本当の「構造」はその下に隠されている、とみる。
ヨーロッパの知のシステムを支える部分品
テキスト:構造主義は、テキストを読む態度を重視。同じテキストも、筋さえ通っていれば、自分流に読んでかまわない。
主体:知のシステムは主体を前提にしている。構造主義は、「構造」のような主体を超えた無意識的・集合的な現象が重要だとする。
真理:構造主義では、真理は制度だと考える。制度は、人間がかってにこしらえたものだから、時代や文化によって別物になる。唯一の真理などない。

変換(置換)によっても不変に保たれているのが、<構造>だからである。変換がつきとめられれば、<構造>もつきとめられたことになる。

神話と数学。見かけこそ似ていないが、両方とも同じ秩序を隠している。二つの制度なのだ。
「主体不関与」の文体を創始した。
主体の思考(ひとりひとりが責任をもつ、理性的で自覚的な思考)を包む集合的な思考(大勢の人びとをとらえる無自覚な思考)の領域が存在することをしめした。
神話は、一定の秩序(個々の神話の間の変換関係にともなう<構造>)をもっている。この<構造>は、主体の思考によって直接とらえられないもの、「不可視」のものなのだ。

証明の発見:ギリシア人による人類史上画期的な大発明。
証明(論証)によって、知を組織できることがわかった。
ユークリッド幾何学とアリストテレスの三段論法お論理学は2000年間、適用されてきた。
何が「正しい」かは、公理(前提)をどう置くかによって決まる。

視点が移動すると、図形は別なかたちに変化する(投影変換される)。そのときでも変化しない性質(投影変換に関しても不変な性質)を、その図形の一群に共通する「骨組み」のようなものといういみで、<構造>とよぶ。<構造>と変換とは、いつでも、裏腹の関係にある。<構造>は、それらの図形の「本質」みたいなものだ。が、<構造>だけでできている図形など、どこにもない。<構造>は、目に見えない。

ゲーデルの不完全性定理
数学が完全であることを、その数学自身によって示すことができない

構造主義は、文芸批判の理念として、これまで現れたもののなかでいちばん進んだもののひとつだ。しかsh、構造主義的批判は、「作者の主体性」や「作者の言いたいこと」は括弧のなかとなる。
方法としてもパターン化されている。

レビ・ストロースによれば、
「構造主義には三つの源泉がある。マルクス主義、地質学、それに精神分析。これらに共通するのは、目に見える部分の下に、本当の秩序(構造)が隠れている、と想定している点だ。あるところまで調べが進むと、急にそれがあらわれてきる。