2002年1月30日水曜日

10 父の威厳 数学者の意地:2002.1.30

藤原正彦「父の威厳 数学者の意地」(ISBN4-10-124805-2)を読んだ。これもやはり、面白かった。その本の一節に「ティーを片手に、ゆったりとした気分で、人生、文学、芸術を語り、自然と親しみ、余裕の中で着想への思いをめぐらすのが、彼ら(イギリス人)の理想である。一方のアメリカ人数学者は、コーヒーでやる気を覚醒し、自分を叱咤しながら論文生産競争に励む。」とあった。私は、イギリス的を望みながら、アメリカ的生き方をしている。
また、「尊敬される国家とは、普遍的価値を創出した国家のことであろう。イギリスは近代的民主主義を作った。フランスは人権思想を、ドイツは哲学や古典音楽を作った。この三国は自然科学での貢献も大きい。経済的にも軍事的にも大したことのない英独仏が、いまだに国際舞台でリーダーシップを発揮しているのは、まさに彼等が創出した普遍的価値に、世界が敬意を払っているからである。尊敬されることは、防衛力ともなる。」とある。
私は、ついつい個人に、この考えを敷衍してしまう。私は尊敬される人間だろうか。単に努力や成果を売り物にする、薄っぺらな人間なのだろうか。
私は、自分自身を振り返ると、多分評価するが、尊敬しないであろう。なぜなら、アメリカ人的であるから。イギリスのような尊敬を得られる人間を私は尊敬する。

2002年1月25日金曜日

9 遥かなるケンブリッジ:2002.1.25

藤原正彦「遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス」(ISBN4-10-327404-2 C0030)を読んだ。面白くて一気に読んだ。
数学者の著者が、家族を連れて、1年間ケンブリッジ大学に滞在したときの記録である。単に滞在記、エッセイというより、イギリスの文化、国民、歴史を評論している。
イギリス人は、fairを尊ぶ。辞書の、公平な、公正な、適正な、正当ななどとは少し違っているという。「フェアーであることを、イギリス人は絶対的なことと考え、アメリカ人は重要なことと考え、ヨーロッパ人は重要なことの一つと考え、日本人は好ましいことと考える」
ジェントルマンの慎み深さを表す会話として、相手の父のことを優秀な科学者ですかと、著者が尋ねると「そうかも知れない。一応はノーベル賞をもらってるから」と、慎み深く答えたという。
著者は言う、「イギリス人は何もかも見てしまった人々である。かつて来た道を、また歩こうとは思わない」と。それは、大英帝国、近代民主主義の栄華を謳歌し、そして現在に至っている。その後、同じような経路をイギリス人は取らないというのだ。含蓄のある言葉である。

2002年1月24日木曜日

8 数学者の休息時間:2002.1.24

藤原正彦「数学者の休息時間」(ISBN4-10-124803-6 C0195)を読んだ。
面白かった。
特に、「父の旅 私の旅」が秀逸。父の絶筆となった新田次郎の小説「弧愁-サウダーデ」の取材地を、父の死後2年後にたどる。新田次郎の9冊におよぶ取材ノートを頼りに、父の姿をたどる。そして、そこに「弧愁-サウダーデ」を見た。
いい本であった。

2002年1月23日水曜日

7 パソコンで楽しむ山と地図:2002.1.23

山と地図のファーラム編著「パソコンで楽しむ山と地図」(ISBN4-408-00745-5 C2026)
地図データを用いて、3次元的に表現するための手法や各種ソフトを用いた操作法に関する書籍である。自分でもやる機会があるかもしれないので購入したが、役立ちそうにもないので流し読みをした。1997年に発行の本なので、少し古い。コンピュータの世界では、4年という時間差は致命的である。

2002年1月22日火曜日

6 急いでも損をしない家の売り方:2002.1.22

櫻井幸雄著「急いでも損をしない家の売り方」(ISBN4-7966-2511-4 C0277)
故あって、家を売ろうと考えている。そのための参考になろうかと、考えて読んだが、少しだけ参考になった。

5 数学者の言葉では:2002.1.22

藤原正彦著「数学者の言葉では」(ISBN4-10-124802-8 C0195)「若き数学者のアメリカ」の著者である。かなり前に読んだエッセイで、メールマガジンの読者が彼のファンであったことから、藤原氏の著者を何10年ぶりかで、思い出した。そして去年の暮れ、神田の古本屋で「遥かなるケンブリッジ」の単行本を見つけ、ふと、買って、他のエッセイもないか探したら何冊も出ていたので、購入して、今順番に読み出した。
面白い。父の新田二郎の言葉として、このエッセイ集に書かれていた言葉が印象的だった。「作家になるための条件は、名文を書く力ではない。読者を引っぱて行く力である」さらに、「若き数学者のアメリカ」でガールフレンドとの交流について書かれているところが非常に印象に残ってたのだが、その部分について新田二郎は、「危ない。ああいう所は本当に危ない。あれでぎりぎりだ。もう一行書いたら全体がダメになるところだった。今度は気を付けないといけない」といったそうだ。ぎりぎりのところでの文章だから、印象も強かったのかもしれない。

2002年1月16日水曜日

4 ランダムな世界を究める:2002.1.16

米沢富美子・立花隆著「ランダムな世界を究める」(ISBN44-582-76409-6 C0350)を少し前に読んだ。物性物理学者の米沢氏への立花隆のインタビューである。10年前に発行された書籍が、平凡社ライブラリーとして復刊されたものである。内容は最先端の部分では古くなっているかもしれないが、門外漢には新鮮に感じた。米沢氏には、10数年前にあっている。私はまだ、ポスドクの身で、あるコンファレンスのオーガナイザーに当時の指導教官がなっていたので私も手伝いとして借り出された。このコンファレンスの招待講演で米沢氏が話をした。それを舞台裏から聞いていた。講演内容は全く理解できなかったが、彼女のシャープさとあっけらかんとしたおおらかさが印象に残った。

2002年1月15日火曜日

3 二人で紡いだ物語:2002.1.15

米沢富美子著「二人で紡いだ物語」(ISBN4-931178-32-4 C0095)を読んだ。
物性物理学者の著者の研究者、妻、母として、それも一流の人としての活動が、さりげない謙虚な気持ちで書かれている。そして最愛の夫が60歳にして先立たれたときの悲しみ、そしてそれを乗り越えるために、夫婦での思いでの地を巡っていく。すばらしい夫婦愛を見た気がする。
私の家族でも順番からいけば、私が一番先に死ぬはずである。それを考えると残されたものがこのように自分を慕ってくれているということがわかれば、憂いなく先立てる気がする。さて我が家ではどうなるであろうか。

2 暗号解読:2002.1.15

サイモン・シン著「暗号解読」(ISBN4-1-53902-2 C0098)を、「フェルマーの最終定理」についで読んだ。予想通り、面白かった。暗号作者と暗号解読者の能力比べ。カエサル暗号、ヴィジュネル暗号、古代文字解読、ドイツ軍採用の暗号機エニグマ、そして現在使用されているRSA暗号、PGP暗号、未来の暗号量子暗号まで説明されている。近代では数学者が数学理論に基づき、その役を担っている。さらに、将来は量子物理学者が暗号において重要な役割を演じる可能性がでてきた。
このような非常に高度の内容を「フェルマーの最終定理」のときと同様わかりやすく説明している。最後の賞金付の「史上最強の暗号」が掲載されている。残念ながらこの暗号は解読されていた。

2002年1月14日月曜日

1 怒りのブレークスルー:2002.1.14

風邪で寝込んでいるとき、眠れないので本を読んだ。中村修二著「怒りのブレークスルー」(ISBN4-8342-5052-0 C0095)である。前作の「考える力、やり抜く力 私の方法」(ISBN4-8379-1872-7 C0030)に続いて読んだ。内容的に重複する部分があるけれども、やはり共感を覚えた。同世代という共通項だけでなく、体制へ怒り。イエスマンへの怒り。上層部の無能さへの怒り。それらに、不満を抱かない人たちへの不満。家族や、田舎の自然を愛する気持ち。そして、自分の気持ちを大切にする気持ち。などなど、感じるところがあった。