2011年4月30日土曜日

053(743)工学部ヒラノ教授: 2011.04.30

今野浩著「工学部ヒラノ教授」
(ISBN978-4-10-314762-6 C095)
を読んだ。
面白い。
一気に読みきった。
私は理学部であったが、
似た環境を経験している。
分野による違いだろうか、
少々の違いはある。
でも、膝を打ちたくなるような、
耳が痛いような内容もある。
実名がいっぱい出てくる。
危なそうなところは、
イニシャルになっているが、
同じ分野の人にはすぐにわかるだろう。
よくこんなモノが書けたものだ。
少々心配をしてしまう。
でも著者の略歴をみると
どうも似たような著作もあるようだ。
気になってきた。

052(742)論理病をなおす!: 2011.04.30

香西秀信著「論理病をなおす!」
(ISBN978-4-480-06516-2 C0295)
を読んだ。
レトリック、詭弁についての内容である。
詭弁の使い方をいろいろなパターンを紹介してあります。
しかし、詭弁と正論の境界はあいまいで、
それを見極めるのは難しい。
その境界を自由にあやるれるの、
弁の達人となるのだろう。
私には無理だが。

2011年4月23日土曜日

051(741)ダンゴムシに心はあるのか: 2011.04.23

森山徹著「ダンゴムシに心はあるのか」
(ISBN978-4-569-79655-0 C0245)
を読んだ。
大脳のない動物、ダンゴムシを使って、
その行動から知能ではなく、
「心」の有無や機能を調べる実験を
している研究者の話である。
おもしろい。
研究の面白さ、その背景の苦労が伝わる。
そして実験結果をどう考えるかも、
重要な作業であることがわかる。
面白いが、どうしても、
それは人間側の考えであって、
本当に客観的にそれが「心」の存在や、
動きを証明していないのではないか
という疑問がのこる。
重要であるが故に、その点が気になる。

2011年4月19日火曜日

050(740)女子中学生の小さな大発見: 2011.04.19

清邦彦編著「女子中学生の小さな大発見」
(ISBN4-10-131731-3 C0140)
を読んだ。
なかなかユニークな本だ。
女子中学生が身近なところで
科学に興味を持ち、
試してみた、見てみたなど
短く報告したものだ。
そして重要なことは、
その発見に、コメントしていないことである。
間違い、誤解が一杯混じっている。
でも、それもコメントなく示されていれている。
これではこれいいいのかもしれない。

2011年4月16日土曜日

049(739)時間はなぜ取り戻せないのか: 2011.04.16

橋元淳一郎著「時間はなぜ取り戻せないのか」
(ISBN978-4-569-77564-7 C0242)
を読んだ。
橋元氏の時間に関する著作は
「時間はどこでうまれるのか」
を読んで興味をもっていた。
そして、さらに進んだ考察が
この本でなされている。
興味を持っているテーマである。
しかし、手ごわいテーもである。
生命の主体的意思(主観)が時間の矢を感じる
という主張である。
また、最後に人間原理の拡大して
「主体的生命原理」を提唱している。
おもしろが、わかるような
わからないような論点でもある。
でも、どこか、魅力のある主張である。
別の近著もあるらしい。
そちらも読んでみよう。

2011年4月15日金曜日

048(738)ある閉ざされた雪の山荘で: 2011.04.15

東野圭吾著「ある閉ざされた雪の山荘で」
(ISBN4-06-181607-1)
を読んだ。
通常のミステリーだ。
ただ、雪に閉ざされた山荘で
密室系の設定を
舞台の練習としてやる、
という凝ってものである。
少々、複雑な設定になっている。
それになりに、面白いのだが、
オチが当たり前すぎて
東野氏の作品としては、
見劣りがする。

2011年4月12日火曜日

047(737)T.R.Y.: 2011.04.12

井上尚登著「T.R.Y.」
(ISBN4-04-873179-3 C0093)
を読んだ。
江戸川乱歩賞受賞作である。
なかなか面白かった。
明治後半の時代背景に、
上海と日本を舞台に
詐欺を働く話である。
最後にはお約束のどんでん返しがある。
しかし、なかなか面白い話であった。

2011年4月4日月曜日

046(736)天空の峰: 2011.04.04

東野圭吾著「天空の峰」
(ISBN4-06-263914-9 C0193)
を読んだ。
内容は現在の日本には
あまりに切実な内容である。
ヘリコプターを奪ってコンピュータ制御で
高速増殖炉の原子力発電所上空にホバリングする。
燃料が尽きれば
原子炉の上に墜落する。
犯人の要求は日本中の原子炉の停止である。
目的は国民が原子炉の危険性を
あまりに知らなすぎることへの警告であった。
現状に符合する事が多すぎる。