2002年4月24日水曜日

25 進化の大爆発:2002.04.24

大森昌衛著「進化の大爆発 動物のルーツを探る」
(ISBN4-406-02756-4 C0046)
を読んだ。
この本の存在は、1年半ほど前から知っており、
3月の北京行とのときに手に入れ、
半分ほど読んで、
そのご転職のどたばたで、
しばらく間が開いていたが、今日やっと読み終わった。
原生代後期からカンブリア紀にかけての
生物の進化をまとめた本である。
本書は、大森氏のライフワークである。

先カンブリア紀とカンブリア紀の境界は
私は最近興味をもった。
大森氏と、2度のわたる中国への調査で、
その境界に互いに興味があること、
そして、それぞれの視点が違うことも認めながら、
見解を一(いつ)にするところも多いことも判明した。
そして、最終的な結論として、
私との共著の論文を今年書くつもりである。
その論文に本書は参考なる。

24 淮南子の斉俗篇:2002.04.24

中国古典文学体系第6巻
「淮南子・説苑(抄)」
(平凡社)
これは、日本語訳である。
そのうち、淮南子(えなんじ)の斉俗(せいぞく)篇を読んだ。

「日本書紀」の国生みの神話が、
淮南子の天文篇に由来している。
そんな淮南子の解説書が
金谷治著「淮南子の思想」
(ISBN4-06-159014-6 C0110)
がある。
以下、いくつか気になった言葉である。

「斉(せい)は、壹(いつ)(ひとしい)である」

「いわゆる達とは、他の外物を知るの達にはあらず、
おのれれに知るの達なり」

「形を遺(わす)れ智恵を去り、
素(もと)を抱いて真に反(かえ)る」

「至極の是とは、これを非とするもののなきこと、
至極の非とは、これを是とするもののなきこと、
これぞ真の是非」

2002年4月15日月曜日

23 弁証法における「否定の否定の法則」について:2002.04.15

井尻正二著「弁証法における「否定の否定の法則」について」(ISBNなし、地団研プックレットシリーズ10)を読んだ。
小冊子であるが、久しぶりに本を読んだ。井尻正二を読んでいる。この書は、O先生から頂いたものである。地質学と哲学を橋渡すようなものを考えたとき、日本では、井尻正二を忘れていけない。かれは、ヘーゲル、エンゲルスなどの研究を
地質学者とおこなってきたのである。学生時代、井尻氏の書いた「科学論」を読んで感動したことがある。そのあたりを、再度読み直そうと考えている。これが手始めである。
この書は、ヘーゲルの弁証法の根本原理である「否定の否定の法則」を批判したものである。弁証法の勉強の入門としていいかもしれない。
弁証法とは、「世界を生成消滅の自己運動としてとらえる」考え方である。弁証法とは、三分法の思考形式を持つ。定立(あるいは正)と呼ばれる最初の説があると、それに対立、矛盾する反定立(あるいは反)が生まれる。それをさらに否定(あるいは止揚(アウフヘーベン:aufheben)とよばれる)され、次なる正(あるいは(総)合)になるという思考形式である。ヘーゲルの観念的弁証法からはじまり、マルクス、エンゲルスの唯物弁証法になったものである。
その正に至る過程が、「否定の否定の法則」で、弁証法の根幹となる部分である。それを批判した書である。面白かった。

2002年4月6日土曜日

22 もったいない:2002.04.06

山口昭著「もったいない 常識への謀反」(ISBN4-478-33041-7 C0034)を読む。
久しぶりに本を一冊読みきった。家にいるときの開き時間によんだものである。
北海道に来て、一番先に考えたこと、それは、終(つい)の地となること、そして、自分の気に入った家に住むこと。湯河原の持ち家を購入するとき、建築や別荘などについて書かれて本を読んだ。そのとき読んで、一番感動したのは、赤池学・金谷年展著「世界でいちばん住みたい家」(ISBN4-484-98102-5 C0036)であった。
そのなかで紹介された家に住みたいと思った。私の気に入った家は、「木の城たいせつ」という変わった名前の建築会社が立てたものである。「木の城たいせつ」は、北海道でしか建てられない。だから、神奈川にいる時は住めなかったのである。北海道でないと住めない家なのだ。山口氏は、その「木の城たいせつ」の創業者でありオーナーである。
本書は、山口氏の生い立ちと、「木の城たいせつに」の企業姿勢にいたる経緯を書かれている。本書は、家の近くにあった「木の城たいせつ」のモデルハウスを見に行った翌日、営業の人が来て、置いていったものである。そして、今日、栗山にある「木の城たいせつ」の本拠地のモデルルームを見に連れていってもらう。栗山は家から近いのである。