2003年6月30日月曜日

45(123) 科学的とはどういうことか: 2003.06.30

板倉聖宜著「科学的とはどういうことか」
(ISBN4-7735-0016-6 C0300)
を読んだ。

なかなか面白い本である。
そして、板倉氏の文章のうまさがあらわれている。
板倉氏のいつもの主張が表れている。
このような驚くようなネタが
どこでも、いつでも、見つかればいいのだが、
それがなかなかできないから苦労するのである。
これはこれで、手法としては成立すると思う。
そして、このネタが続く限り、独創性は維持できる。
でも、ネタがなくなったとき、どうなるのか。
仮説実験授業という手法は残るのだろう。
それはそれでいい。
でも、この本で人を驚かせ、感動させたような手法は
残らないのだろう。
むつかしいところだ。

2003年6月29日日曜日

44(122) 大江戸えねるぎー事情: 2003.06.29

石川英輔著「大江戸えねるぎー事情」
(ISBN4-06-185431-3 C0195)
を読んだ。

江戸時代のいろいろなものごとを
エネルギーに換算し、現代のエネルギー使用と比較したものである。
なかなか面白かった。
人間のするいわゆる手作業ともいうべきことでも、
ありとあらゆることができることを教えてくれた。
それも、地球に負担をかけることなくである。

2003年6月22日日曜日

43(121) 農をめぐる旅: 2003.06.22

秋山豊寛著「農をめぐる旅」
(ISBN4-8294-0182-6 C0061)
を読んだ。
これは、秋山氏の「農ある暮らし」への準備
あるいははじめたころにかけて
取材していたものをまとめたものである。
彼が農の達人、オピニオンリーダーたちを訪ね歩いたもので、
彼の農への道を確実にするためのプロセスだった。
かれは、周到なる準備をしていてのである。

「金もうけ、という点かいったら農業は、
そんなに割りの良い仕事ではありません。
金だけが目的なら、もっと別のことをやった方が良いでしょう。
でも、私は農業のやりがいというもは、
別のところにあると思っています」

42(120) 高校数学でわかるマックスウェル方程式: 2003.06.22

竹内淳著「高校数学でわかるマックスウェル方程式」
(ISBN4-06-257383-0 C0242)
を読んだ。

「物理学の理解としては、この関係を、
これ以上分解してりかいすることが不可能な基本的な関係
=法則
であるとして受け入れるということを意味する」

41(119) 宇宙と大地と 農あるくらしへ: 2003.06.22

秋山豊寛著「宇宙と大地と 農あるくらしへ」
(ISBN4-00-000180-9 C0095)
を読んだ。

日本人最初の宇宙飛行士、秋山氏が
TBSを退社して農業に従事し、
自給自足の生活を始めた。
そこには、地球環境の真の理解と、
強い信念と行動力があった。
多くの地球環境を考える人間は行動力がない。
そして真の解決も行動することである。
そんな痛烈な批判をみをもってかれは行っているいるようだ。

「こうしたなかで、「行動」こそ必要な時代であり、
私自身も行動するときではないかという想いは強くなりました。
私は「農ある暮らし」への準備を始めていました。」

「私の発想が、日本が豊かであることに規定されているのは確かです。
お金は大切だけれど全てでない、といいきれるほど豊かです」

「なぜ農なのかを語るのに、少し多弁になりすぎたかもしれません。
用は個人の暮らしのあり方を「自給」と
「精神の自在性」という方向から見直し、
「地球危機」という自分の状況認識と生き方のつじつまをあわせたいということです。
自分にとって「農ある暮らし」は無理のない選択であり、
手応えは予想以上でした」

「アメリカの農業は、もともと「家族経営」として発展したものでした。
(中略)
その自由を保障するものが「食料の自給」であり、
その単位が「家族」でした」

「一般的に専門家といわれる人々が社会的責任をとることはあるでしょうか。
過去「安全」と言われたたくさんの農薬が
現在では使用し禁止になっていることについて、
かつて「安全」と 判断した「専門家」は、
どのよう責任を取ったでしょうか」

「地球の資源が有限であるという認識は、
20世紀の指導原理であった「生産性」「経済成長」といった概念が
歴史的に限定された、いわは普遍性に欠ける
概念でしかなかったことの確認につなかがります」

「私たちがお金に換算されない価値について、
これが実はこれから求めるべき「豊かさ」の中身であると気づけば、
食卓の準備を種まきから始めることも
「豊かさ」であることがわかるでしょう。
歴史は確実に、そうした「豊かさ」に向かって歩を進めています」

「独自の技術力は、競争社会にあっては「力」です。
他に依存しなくとも、独自に開発できる能力を持つことが、
交渉する場合に力になるわけです。(中略)
自給する力があるからこそ、自立が可能のです。
経済的にも、技術的にも、独自の力を持つことが無理な場合は、
当面あきらめるほかありません。
しかし、可能であるにもかかわらず、みすみす可能性を放棄することは
”自主”の力を弱めることになります」

40(118) ぐれる!: 2003.06.22

中島義道著「ぐれる!」
(ISBN4-10-610009-6 C0210)
を読んだ。

この本は強烈である。
ストイックで真摯な哲学者中島氏の本である。
ありとあらゆる妥協を拒否して、
自分自身の信じることを貫くための生き方を書いている。
私には、到底できない生き方である。

人がぐれる理由をあげている。
(1)もうじく、どうせ死んでしまうこと。
(2)ひとは不平等に生まれついていること。
(3)人生は偶然に翻弄されること
(4)それにもかかわらず、「明るい顔」をすることがようきゅうされること。
(5)犯罪をなして社会から葬り去られれるだけのゆうきがないこと。
なかなか意味深な言葉である。