2002年9月21日土曜日

50 アインシュタインをトランクに乗せて: 2002.09.21

マイケル・パタニティ著「アインシュタインをトランクに乗せて」
(ISBN4-7879-1885-9 C0097)
を読んだ。

実話だが、小説のような不思議な本であった。
1955年4月18日、アルバート・アインシュタインは、
アメリカ、プリンストン病院で息を引き取った。
遺体の解剖を担当したのは
プリンストン大学のトマス・ハーヴェイであった。
ハーヴェイは、アインシュタインの脳をホルマリン漬けにして、
40年近く自宅に保存していた。
世間の非難を受けたが、研究目的としていたが、
彼自身は研究しなかった。
脳を何人かの研究者に分配はした。
そして、40年後、彼は脳を遺族である
アインシュタインの孫娘エヴァリンに返すために
アメリカの東から西に移動することになった。
その道中をドライバーとして同行したのが著者である。
状況が面白すぎる。
でも、あとは書く側の力量の問題であろう。
私は、あまり好まない書き方であった。

アインシュタインの死ぬ少し前の言葉。
「この世界での仕事は終わった」

友人ミケーレ・ベッソを失ったときのアインシュタインの言葉。
「彼は私よりひと足早く、この奇妙な世界に別れを告げた。
だがそんなことは、全く無意味だ。
我々確信に満ちた物理学者にとって、
過去、現在、未来の境目など、
しつこい幻影くらいのものでしかない」

アインシュタインの言葉。
「宗教のない科学は不具であり、科学を伴わない宗教は盲目だ」

アインシュタインの雑誌編集者への手紙。
「私の平和主義は本能的な感覚です。
人殺しは忌まわしいことであるがゆえに、
平和を望む感覚が私をとらえて離さないのです。
私のこうした姿勢は、理論か導きだされたものではなく、
あらゆる残虐と憎しみに対する
私の深い反感を下敷きにしているのです」 

アインシュタインの1953年、ベルギー皇太后への手紙。
「齢を重ねてはじめて感じるのは、
自分がいまいる時間や場所へのはっきりとし手ごたえが、
少しずつ失われていくことです」

2002年9月16日月曜日

49 脳の方程式 いち・たす・いち: 2002.09.16

中田力著「脳の方程式 いち・たす・いち」
(ISBN4-314-00900-4 C0040)
を読んだ。
非常に面白かった。
永久保存である。

「熱力学第二法則とは、
「放って置くと、
物事はすべて確率の高い状態に向かって進んでゆく」
という万物の基本原則
(中略)
これはまた、われわれの存在する宇宙が、
ある操作を何度も何度も繰り返しながら
存在する系であることを意味している」

「太陽のみが地球に富をもたらすエネルギーを
与えてくれる存在であり、
人間はその富を奪い合っているにすぎない」

「昼。太陽からの光が地球に到達する・
これは、エントロピーの低いエネルギーの獲得である。
夜。地球から、熱が宇宙に 逃げていく。
これは、エントロピーの高いエネルギーの放出である」

「地球に昼と夜が存在するからこそ、
人類は誕生したのである」

「シャノンは「ある系の持つ不秩序の程度をもって
その系の持つ情報量」と定めたのである。
これが、シャノンのエントロピーである。
情報革命が静かにその幕を開けた瞬間であった」

「何もしなければ時間とともに情報量が減少し、
内容が不確定なものへおt変化するのである」 

「これは「目に見えるものがすぐに実体とは限らない」
という、21世紀の科学に共通した概念を示す良い例である。
そこには、脳がどう働くかも内在されている」

「科学界は数学界と法曹界との中間に位置する。
より基本数学に近い分野では、
数学同様に公理から順番に証明された事実を扱うこととなる 。
物理学などはそのよい例であある。
より法律に近い分野では法律に似通った手段を取る。
つまり、「憲法の制定」である。
医学はどちらかといえばこちらに近い」

「ヒトという種が他の哺乳類とは違った存在であるためには、
前頭前野の機能をを発揮しなければならないことである」 

「フィネアル・ゲイジはこの「人間としての条件」が
どのようなものであると教えてくれたのだろうか?
「理性を持ち、感情を抑え、他人を敬い、
優しさを持った、責任感のある、
決断力に富んだ、思考能力を持つ哺乳類」である」

「人間は特別な教育を受けなくとも
自然と音声言語を獲得する。
サルは調音器官をもつがこの「言語獲得機能」を持たず、
歌を歌う鳥は調音器官も獲得能力も備えているが、
思考機能の発達が未熟なために高度な言語機能を持たない」

「一般的にいって、「母なる自然に逆らった人間の行為」は
悪い結果を招くことが多い」 

「人間の叡智の集約は「人がどのように生きるべきか」
かに答えを出すべきための過程であり、
その最終目標は「人間の方程式」の完成ということができる」

「人類は量子哲学の感性をもって
その英知の集大成となすのである」

「「実存の科学をバックグランドに持たない哲学」と
「目標を与える哲学が欠如した物理学」とが
派生してくる結果をなった。
哲学が理論の学問である以上、
実存の資本理論たる物理学から離れることは許されない。
掃除に人間の叡智の最終目標が「人間の方程式」である以上、
哲学を忘れた物理学に意味をもたすことはできない」 

「法律に憲法が存在するように、
科学にも憲法が存在する。
それは、母なる自然の基本法則である。
実在の物理学も脳の方程式も、
母なる自然の基本法則に違反する形では存在できない」

「「操作の反復性」は複雑系が複雑系であるための
重要な要素である」

「自然界に現れる形態のほとんどは自己形成により生まれてくる」

「ユニバーサリティとは「普遍性」と言う意味である。
「臨界点を示す系はすべてひとつの基礎理論で記述可能である」
というこの理論の基本概念を示すものとして名づけられた。
その最も重要な応用は「系の示す行動は、
系の微細単位 が示す行動の繰り返しである」
との記載である」

「脳理論は「すべての学問に精通した人たちだけに理解されること」
だけでは受け入れられない。
「すべての人に理解されること」を要求されている。
これが、進みすぎてしまった科学と人類の英知のが
最後に到達した学際性の条件でもある。
ある意味で、民主主義の結果でもある」

48 海馬: 2002.09.16

池谷祐二・糸井重里著「海馬」
(ISBN4-255-00154-5 C0095)
を読んだ。

これは、非常に勇気付けられる本であった。
それは、脳は一杯使っても大丈夫、
30歳過ぎても脳は成長するなどのと書かれているからである。

各章のまとめから
・新鮮な始点で世界をみることを意識すること
・脳の本質は、ものとものとをむすびつけること
・すっとパーをはずすと成長できる
・30歳過ぎてから頭はよくなる
・脳は疲れない
・脳は刺激がないことに耐えられない
・脳は見たいものしか見えない
・脳の成長は非常に早い
・海馬は増やせる
・旅は海馬を鍛える
・脳に逆らうことがクリエイティブ
・やり始めないと、やる気が出ない
・寝ることで記憶が整理される
・生命の危機が脳をはたらかせる
・センスは学べる
・予想以上に脳は伸びていく

「脳の能力とは、煎じ詰めれば情報の保存と情報の処理なんだ」

「脳が経験メモリーどうしの似た点を探すと、
「つながりの発見」が起こって、
急に爆発的に頭の働きがよくなっていく」

「脳の記憶の仕方にとって、
とっても大切な特色は「可塑性」のんです」 

「海馬にとっていちばんの刺激になるのが、
まさに「空間の情報」のです」

「認識を豊富にしてネットワークを密にしていく」ということが
クリエイティブな仕事というものに近づいてくヒント」

「人生においてやりかけのことだけが募ってくると、
当然、誇りは生まれないだろうと思います。
誇りを生むには、
ちょっとでも完成したものを残しておく」

47 はじめまして数学 3: 2002.09.16

吉田武著「はじめまして数学 3」
(ISBN4-344-00222-9 C0041)
を読んだ。

大分こなれてきた感じがする。
しかし、そのせいか、インパクトがだんだん少なくなってきた。
このような本は、何冊にも分けず
厚くても一冊にすべきなのだろう。
営利目的とは相反するかもしれないが、
学習するためには、
そのような決断も必要だろう。

46 大学で何を学ぶか: 2002.09.16

46 大学で何を学ぶか: 2002.09.16 
加藤諦三著「大学で何を学ぶか」
(ISBN4-334-70132-9 C0137)
を読んだ。

昔読んだ本だ。
今は、この内容を、学生に教える立場だ。
さすがにいい言葉が、ちりばめられている。

「「泳げるようになるまでは水に入らない」という者は、
永久に泳げるようになれない」
まずは、やること。 

「大学の時代は、与えられる時代ではなく、
獲得の時代だということを忘れてはいけない」

ケネディの言葉を引いている。
「アメリカの同胞諸君。
諸君の国が諸君のために何をなしうるかを問いたもうな。
諸君らが 国のために何をなしうるかを問いたまえ」
つまりは、大学で自分が何をするかを考えるべきである。

毛沢東の言葉。
「何かを成そうとする人間は、
金が無く、若くて、 かつ無名で無ければならない」
そして加藤氏はいう。
「もともと人生とは何もない。
人生を使って何をするか、
それによって、人生が大きくもなり、 小さくもなる。 
もともと人生に意味があるわけでもなく、
無意味なわけでもない。
どう生かによって人生は無意味にもなるし、意味も持つ」

「すべての人は、自分の人生をただの一度も
あやまちをおかさないで生きて死ねるものではない」
「人間にできることはどこで立ち直るか、
それともさらに進路を歪めるかの選択だろう」
「人間の価値が問われるのそこなのだ。
創造性とか発想力とかを問題にする前に、
自分の心の中の反省を明日の生活に生かせるかどうか、
それができる人間こそ、価値あると思う」

「もし自分に価値があると思っているとしたら、
その、のぼせ上がった気持ちを素直に改め、
また、自分に価値がないと思っているならば、
その劣等感を捨てないかぎり、
そこか、ぎくしゃくした人生になるだろう」

「人間の価値観がかたよるということの恐ろしさを知ってほしい。
だからこそ、大学で、立ち止まって、
いままでとはちがった動機にもとづいて
行動してみることをすすめすのである 。
ほんとうの自分を見つけるために。」

「大学で学ぶうちにつかみとるものの一つとして、
僕は人生の正しい姿勢をあげておきたい。
自分は何をめざして生き、
どう生きていけば真の生き甲斐が得られるのか。
それを四年間問いつづけて行動しつづけてほしい」

ニーチェの言葉。
「ほとんどいかなる苦しみにも、
それに意味があれば耐えられる」
「よし!人生が無意味なら私はそれに一つの意味を与えよう。
自分の手で、生き甲斐ある人生を創ろう。
もう一度! と喜び迎えるような人生をつくろう」
加藤氏はいう
「自由とは自分にとって価値のあることに
自分をささげることができるということではないだろうか。
禁欲を学ぶこと、
それも自由への道であころことを知ってほしいのである」

「自ら最終的なものとして選択した結果にあやまりがあったら、
選択をしなおせばいいのである。
そのときははっきりと自分の失敗を認めて
選択し直す、ということである」

「見栄にふるまわされず、
かえってそれをふり捨てている人間は、
他人に対して点をかせきどうなどはほとんど思わず、
ただ自分の良心に対してだけ点をかせごうと思うものだ」

「必然性は教わることであるが、
可能性は学ぶことである」

2002年9月7日土曜日

45 ロゼッタストーン解読: 2002.09.07

レスリー・アドキンズ、ロイ・アドキンズ著「ロゼッタストーン解読」
(ISBN4-10-541601-4 C0020)
を読む。
今回イギリスで見るつもりのロゼッタストーンに書かれた文字の
解読にまつわる話である。
フランス人のジャン=フランソワ・シャンポリオンが解き明かしたのであるが、
そのライバルたちからの誹謗、中傷、妨害にあいながらも、
病気と貧困に打ち勝って、
1822年、31歳のとき、ヒエログリフの解読に成功した。
彼の熱意、彼の努力、そして弱音、人間としてのシャンポリオンがわかった。
そして、彼のエジプト学に対する情熱も伝わった。

ロゼッタストーン発見の経緯は、以下のようであった。
1979年7月19日、エジプトに遠征していたナポレオンは、
上エジプトの古代遺跡の科学的研究と正確な記録のために、2つの委員会をつくった。
その日、ロゼッタの北西数kmで、荒れ果てたラシッド要塞を
フランス軍が補強をしているとき、
「崩れかけた壁を取こわしているとき、
ドプールという名の兵士が、片面に碑文のある暗緑色の石版を発見した。
作業を監督していたピエール・フランソワ・ザビエル・ブシャール中尉は、
これは何か重要なものにちがいないと考え、
上官のミッシェル=アンジュ・ランクルに報告した。
ランクルが調べたところ、
三つの異なった文字で記された三つの碑文があることがわかった。
その一つがギリシア語であることは彼にもわかった。
もうひとつはヒエログリフで、残りは未知の文字だった。
ギリシア語の碑文を訳すと、
紀元前二〇四から一八〇年までエジプトを支配した
プトレマイオス五世エピファネスをたたえる、
紀元前一九六年三月二十七日という日付のある、
神官の布告であることがわかった。
三つの碑文は同一の内容を三つの異なる文字で記したものであって、
ヒエログリフ解読の鍵になるものと思われた。」
ロゼッタストーンは、高さ1.2m、重さ750kg。
23年の歳月をかけて、解読の競争がおこなわれた。

ロゼッタストーンが大英博物館にあるのは、次のような経緯からである。
ナポレオンが急遽フランスに戻り、全権を委任されたクレベール将軍は、
「イギリス軍とエジプトからのフランス軍の撤兵について交渉し、
合意が成立し、協定が調印された。」
18ヶ月におよぶ交渉で、
「学者たちはすべての記録と大部分の収集品を持ち帰ってよいことになったが、
しかし、イギリス側は貴重なロゼッタストーンをはじめ
重要なものを没収した。」
「ロゼッタストーンは最終的に、
一八〇二年末、大英博物館に保管された」

「質素な家や宮殿は生きているあいだしか使わないが、
墓は『永遠の家』だった。」

「古代エジプト人の書記が
自分たちの言葉は永遠に消えないと確信していたように、
シャンポリオンは古代エジプト人の格言、
「未来に向けて語るべし、
それは必ず聞かれん」
を信じていたのである。」