2002年6月3日月曜日

29 構造主義科学論の冒険: 2002.06.03

池田清彦著「構造主義科学論の冒険」(ISBN4-06-159332-3 C0140)を読んだ。久しぶりに、しっかりしたものを読んだ。
構造主義に基づいた科学論の展開である。面白かったが、やはり理解できない部分があった。
本文より。
「 理論(構造)というのは我々の頭の中にあるのであって、我々とは独立にどこかにあらかじめころがっているわけではありません。理論は外部世界の中に発見するものではなく、我々の頭の中に発見するものです。頭の中にある何かを発見することを発明と呼ぶとするれば、理論は発明されるべきものなのです。
ここで人間の脳の機能は、何らかの限界性を持つと考えれば、人間の脳が発明し得る可能な構造(理論)はすでにあらかじめ決定しているとも考えられます。すなわち我々は、あらかじめわかる事しかわからないのです。」
「ダーウィンの功績は、生物はすべて進化しうる構造(形式)をもっていること明らかにし、その形式を記述したことにあります。すなわちダーウィンは、生物であることと、進化をすることは実はおんなじだと言ったわけです。」
「変異の内部形式を問わなくとも、生物の変化(小進化)は説明できるでしょう。しかし変異の内部形式を問わなければ、壮大な進化史の全部を説明できっこない、と私は考えます。」
「多元主義の原則はポジティブなものでなく、ネガティブなものです。他の文化や伝統を抑圧する一元論的なルールを認めない、というのが多元主義の唯一のルールです。人々の恣意性の権利を擁護するとは、制度、文化、伝統自体を擁護するのではなく、それらの無根拠なルールに対する人々の選択の自由を保障するということです。多元主義社会の規範(もちろんこれも無根拠なものです)は人々の恣意性の権利(すなわち自立的な選択と拒絶)を勘案することなく、不可避にこれを侵害する制度を排除しよう、ということだけです。」