2002年3月2日土曜日

16 量子宇宙干渉機:2002.03.02

ジェイムズ・P・ホーガン著「量子宇宙干渉機」(ISBN4-488-66319-2 C0197)を読んだ。
本格的SFである。本編に必要なら、物理学すら構築する。すごい才能である。
登場人物の中にサム・プニュンサクというタイの仏教哲学者があり、彼の周辺で含蓄のある会話が多数なされる。その中に以下のようなものがあった。
「意識は、人生が提供する混沌とした選択肢のなかで、より良い未来へと進む方法を学ぶのだと。簡単にいうと、社会というものは、一定の制約に従ったりさまざまな基準を守ったりすることで、長い目で見た場合にはかえって良いものとなって、”悪”とは対照的な”善”という特性をもつようになる。さまざまな宗派や哲学派が、本質的には同じメッセージをことなったやりかたで説明してきた―たいていは、なんらかのかたちで善悪を伝える”神々”という概念によって。1千年ものあいだ、哲学者たちは、道徳の規範を論理という土台から合理的に導き出そうとして、失敗を重ねてきた。」
「きみはまだ若いからすべてを知っているわけではないだろうが、話すぶんの二倍は耳をかたむけるべきだということはわかるはずだ。だからこそ、神さまはわれわれにふたつの耳とひとつの口をあたえたのだろう?」
「憎むことをやめたら、人は他者のなかにみずからを見るでしょう。そうなったとき、どうして他者を苦しめようとするする気になれますか? 人びとは、何千年ものあいだ、人間の非道な行為を抑制するために、恐怖や、暴力や、道理や、説得をもちいてきて―すべて失敗に終わりました。しかし、効果を発揮するには、強大な警察も大がかりな法令も必要ありません。同情の念さえあればいいのです。他者の苦しみや恥辱を感じるときに、どうして彼らを傷つけることができるでしょうか?」
「人びとが、なにかを手に入れるには他人からなにかを奪わなければならないと考えるかわりに、お互いに助け合うということ。だれかが得点したからといって、だれかが失点する必要はないのよね?」
「わたしたちが見ている世界は、いかなる人間の理解力もおよばないプロセスによって支配されており、人間の力の限界というものを思い知らされるばかりです。私たちが体験することは、わたしたち自身の判断や行動に応じて、なんとも複雑なわかりにくいかたちで決定されます。ということは、しるしを読みとる方法さえわかれば、より良い道すじを見つけられすはずなのです。かれはまさに、まともな宗教がいわんとしていることにほかなりません。そのような作用をあらわす手段としては、”神”という概念も有効なものと思われます」
「なにかを理解したいと思うなら、はじめから答えがどうだろうと気にしないという決意をもとなければならないということだ(中略)たとえば、ニュートン力学や近代天文学が受け入れられるためには、人びとが、惑星の運行に神や天使がかかわっていて、それを信じないものは地獄に落ちるのだという信念をそっくり捨てる必要があった」
含蓄のあることばである。