真鍋真・小林快次編著「日本恐竜探検隊」
(ISBN4-00-500485-7 C0240)
を読んだ。
日本で多数の恐竜化石が見つかっていることは、
知っていたが、どのような種類のものが発見されいて、
どのような研究者が関与しているかが良く知らなかった。
しかし、このジュニア向けの本を読んで、
日本の恐竜研究の概要を知ることができた。
しかし、研究者が書いた文章なので、
ジュニア向けなのに
論文調の書き方をしているものが多い。
それが残念であった。
編者はあま表現内容を統一しなったようだ。
それが残念である。
2007年1月13日土曜日
2007年1月8日月曜日
4(290) クマムシ?!: 2007.01.08
鈴木忠著「クマムシ?!」
(ISBN4-00-007462-8 C0345)
を読んだ。
驚異的な生命力を持つクマムシの話だ。
しかし、私たちが聞いているクマムシの不死身説は、
一部は本当であるが、多くは尾ひれのついた
噂話が多いようだ。
面白いことにクマムシの研究者は少なく、
研究史もあまりなかったようだ、
現在では研究者もでてきたようだ。
クマムシは樽状になって休眠するが、
生きているが代謝をしない状態になって、
悪い環境を生き延びる。
その状態のことをクリプトビオシスと呼ぶ。
「潜伏生命」や「隠蔽生活」などと訳されているらしいが、
正式訳はないようだ。
鈴木氏も私より少し若いが、
今までの研究テーマを変更して、
40歳のときにクマムシの研究に入ったようだ。
それまでいくつ研究テーマを変えてきたようだ。
なかなか共感を覚える姿勢である。
(ISBN4-00-007462-8 C0345)
を読んだ。
驚異的な生命力を持つクマムシの話だ。
しかし、私たちが聞いているクマムシの不死身説は、
一部は本当であるが、多くは尾ひれのついた
噂話が多いようだ。
面白いことにクマムシの研究者は少なく、
研究史もあまりなかったようだ、
現在では研究者もでてきたようだ。
クマムシは樽状になって休眠するが、
生きているが代謝をしない状態になって、
悪い環境を生き延びる。
その状態のことをクリプトビオシスと呼ぶ。
「潜伏生命」や「隠蔽生活」などと訳されているらしいが、
正式訳はないようだ。
鈴木氏も私より少し若いが、
今までの研究テーマを変更して、
40歳のときにクマムシの研究に入ったようだ。
それまでいくつ研究テーマを変えてきたようだ。
なかなか共感を覚える姿勢である。
2007年1月6日土曜日
3(289) 天の瞳 あすなろ編I: 2007.01.06
灰谷健次郎著「天の瞳 あすなろ編I」
(ISBN4-04-873379-6 C0093)
を読んだ。
ストーリ自体はなかなか進まないが、
いろいろ重要で面白い話題が書かれている。
後一冊で手元の本は終了するが、
今後どのような成長をするかは楽しみであるが、
著者が昨年く暮れに亡くなったので
これ以上の続きは期待できない。
ライフワークと銘を打っているが、
ライフワークともいうべき内容の本が、
途中で終わってしまうのは、
興味を持って読んで読者には欲求不満になる。
それが一番の問題だ。
この本で教師と生徒の正常な関係を
テーマとしているのだが、
著者と読者の関係に読みかえると、
著者が死んでしまうことは、
著者にとって読者への一番の裏切りかもしれない。
いいたいのは、私は、この物語を
それほど読みたいということである。
(ISBN4-04-873379-6 C0093)
を読んだ。
ストーリ自体はなかなか進まないが、
いろいろ重要で面白い話題が書かれている。
後一冊で手元の本は終了するが、
今後どのような成長をするかは楽しみであるが、
著者が昨年く暮れに亡くなったので
これ以上の続きは期待できない。
ライフワークと銘を打っているが、
ライフワークともいうべき内容の本が、
途中で終わってしまうのは、
興味を持って読んで読者には欲求不満になる。
それが一番の問題だ。
この本で教師と生徒の正常な関係を
テーマとしているのだが、
著者と読者の関係に読みかえると、
著者が死んでしまうことは、
著者にとって読者への一番の裏切りかもしれない。
いいたいのは、私は、この物語を
それほど読みたいということである。
2007年1月4日木曜日
2(288) 天の瞳 成長編II: 2007.01.04
灰谷健次郎著「天の瞳 成長編II」
(ISBN4-04-873286-2 C0093)
を読んだ。
学校の窓ガラス破壊事件、暴力事件など
良く聞くものを題材にして、
生徒、学校、親が一般的な対処と、
理想的な対処を問う内容である。
考えることと議論すること、
言うことと実行すること、
暴力と非暴力、
武術と暴力、
理想と現実。
そして当たり前ということを実現するのが、
いかに大変か、そして努力を要するのかが
書かれている。
そして、その当たり前を当たり前と感じられる力が
必要である。
(ISBN4-04-873286-2 C0093)
を読んだ。
学校の窓ガラス破壊事件、暴力事件など
良く聞くものを題材にして、
生徒、学校、親が一般的な対処と、
理想的な対処を問う内容である。
考えることと議論すること、
言うことと実行すること、
暴力と非暴力、
武術と暴力、
理想と現実。
そして当たり前ということを実現するのが、
いかに大変か、そして努力を要するのかが
書かれている。
そして、その当たり前を当たり前と感じられる力が
必要である。
2007年1月2日火曜日
1(287) 天の瞳 成長編I: 2007.01.02
灰谷健次郎著「天の瞳 成長編I」
(ISBN4-04-873204-8 C0093)
を読んだ。
成長する主人公と不良と呼ばれる子供たちの抗争。
それに対して事なかれで対応する学校教師。
そんな学校にあっても子供たちのことを考えている教師。
学校のふがいなさに憤る親。
理想の教育、理想の学校はそれぞれ違うだろうが、
現実に子供たちに問題が起こっているとき、
どう対処するかが早急の問題だが、
その姿勢が思わぬ対立を生む。
しかし、子供を教育するところが学校であるのだから、
視点は子供に置かなければならない。
そんな簡単なことができない大人がいると
問題がこじれていくのである。
(ISBN4-04-873204-8 C0093)
を読んだ。
成長する主人公と不良と呼ばれる子供たちの抗争。
それに対して事なかれで対応する学校教師。
そんな学校にあっても子供たちのことを考えている教師。
学校のふがいなさに憤る親。
理想の教育、理想の学校はそれぞれ違うだろうが、
現実に子供たちに問題が起こっているとき、
どう対処するかが早急の問題だが、
その姿勢が思わぬ対立を生む。
しかし、子供を教育するところが学校であるのだから、
視点は子供に置かなければならない。
そんな簡単なことができない大人がいると
問題がこじれていくのである。
2006年12月26日火曜日
45(286) 空間の謎・時間の謎: 2006.12.26
内井惣七著「空間の謎・時間の謎」
(ISBN4-12-101829-X C1210)
を読んだ。
難解であるが面白い。
ライプニッツとニュートン(代弁者)の論争から
科学の本質を見出し、
それを追うことからはじまる。
科学史ではなく科学哲学である。
しかし、科学史の哲学的解釈であるような気がする。
つまりよくある哲学だが、
本当の哲学ではないような気がする。
それは、ニュートン、ライプニッツ、アインシュタイン
などの物理学の大物が提示した理論に
基づいているのからなのだろうか。
著者が生み出したのは
素材を加工して生み出した料理、
つまり解釈のような気がする。
だが、非常に重要なアプローチのような気がする。
誰も手にしていない素材を用いて
人の考えではなく、自分自身の考え方で
このようなや展開をすれば、
より哲学的なものになるような気がする。
私のとるべき道はこれなのかもしれない。
(ISBN4-12-101829-X C1210)
を読んだ。
難解であるが面白い。
ライプニッツとニュートン(代弁者)の論争から
科学の本質を見出し、
それを追うことからはじまる。
科学史ではなく科学哲学である。
しかし、科学史の哲学的解釈であるような気がする。
つまりよくある哲学だが、
本当の哲学ではないような気がする。
それは、ニュートン、ライプニッツ、アインシュタイン
などの物理学の大物が提示した理論に
基づいているのからなのだろうか。
著者が生み出したのは
素材を加工して生み出した料理、
つまり解釈のような気がする。
だが、非常に重要なアプローチのような気がする。
誰も手にしていない素材を用いて
人の考えではなく、自分自身の考え方で
このようなや展開をすれば、
より哲学的なものになるような気がする。
私のとるべき道はこれなのかもしれない。
44(285) 天の瞳 少年編II: 2006.12.26
灰谷健次郎著「天の瞳 少年編II」
(ISBN4-04-873159-9 C0093)
を読んだ。
主人公林太郎が中学校1年生のときの話である。
どこにでもいそうな教師、校長などの
生徒を規則で締め付ける教師と
それに抵抗する主人公とその仲間の話題である。
主人公のような正論による抵抗者は、
現時の学校では少数派ではないか。
ほかの抵抗者は不良と呼ばれるものたちである。
主人公たちは、不良とも戦わなければならない。
本当に自然に生きるとは、
自分の正しいと思うとおりに生きるとは
これほど大変なのかと思う状況での話である。
(ISBN4-04-873159-9 C0093)
を読んだ。
主人公林太郎が中学校1年生のときの話である。
どこにでもいそうな教師、校長などの
生徒を規則で締め付ける教師と
それに抵抗する主人公とその仲間の話題である。
主人公のような正論による抵抗者は、
現時の学校では少数派ではないか。
ほかの抵抗者は不良と呼ばれるものたちである。
主人公たちは、不良とも戦わなければならない。
本当に自然に生きるとは、
自分の正しいと思うとおりに生きるとは
これほど大変なのかと思う状況での話である。
2006年12月14日木曜日
43(284) 天の瞳 少年編I: 2006.12.14
灰谷健次郎著「天の瞳 少年編I」
(ISBN4-04-873100-9 C0093)
を読んだ。
最近寝る前にはこのシリーズを読んでいる。
この巻は、主人公が小学校5年生の時の話で
構成されている。
少々ませているようだが、
子供と教師、子供と親、子供の間の関係、
いずれも考えさせされるエピソードばかり
取り上げられている。
なかなか参考になる。
(ISBN4-04-873100-9 C0093)
を読んだ。
最近寝る前にはこのシリーズを読んでいる。
この巻は、主人公が小学校5年生の時の話で
構成されている。
少々ませているようだが、
子供と教師、子供と親、子供の間の関係、
いずれも考えさせされるエピソードばかり
取り上げられている。
なかなか参考になる。
2006年12月6日水曜日
42(283),41(282) 天の瞳 幼年編: 2006.12.06
灰谷健次郎著「天の瞳 幼年編1、2」
(ISBN4048730967)
(ISBN4048730975)
を読んだ。
先日、灰谷健次郎の訃報をニュースで知った。
小学校教員養成の学科に配属され、
教員と子供のあり方について考えるようになってきた。
そんなとき以前読んだ
灰谷健次郎の一連の著作が気になり、
図書館で借り出して読み始めた。
面白いのは確かだが、
描かれる子供と大人、子供と親、子供と教師
の関係で、どれがいいのか、どこが悪いか、
考えさせられることが多い。
そして授業の一こまが描かれているが
定常的な授業でそのようなやり方をしていたのでは、
授業予定がこなせないないのではないか、
というような現実的な問題を想起してしまう。
しかし、それも考慮して子供との
より関係を考えていく必要があるのだろう。
(ISBN4048730967)
(ISBN4048730975)
を読んだ。
先日、灰谷健次郎の訃報をニュースで知った。
小学校教員養成の学科に配属され、
教員と子供のあり方について考えるようになってきた。
そんなとき以前読んだ
灰谷健次郎の一連の著作が気になり、
図書館で借り出して読み始めた。
面白いのは確かだが、
描かれる子供と大人、子供と親、子供と教師
の関係で、どれがいいのか、どこが悪いか、
考えさせられることが多い。
そして授業の一こまが描かれているが
定常的な授業でそのようなやり方をしていたのでは、
授業予定がこなせないないのではないか、
というような現実的な問題を想起してしまう。
しかし、それも考慮して子供との
より関係を考えていく必要があるのだろう。
2006年11月28日火曜日
40(281) 月のきほん: 2006.11.28
白尾元理著「月のきほん」
(ISBN4-416-20612-6 C0044)
を読んだ。
白尾氏の月に関する本だ。
月については、科学的なデータ集はもっていたので
不自由は感じなかったが、
この本を読んで、まさに月の基本がわかった。
天文写真のプロといっても良い白尾氏が
あえてイラストで説明をしたのは、
そのほうが分かりやすいからである。
この本は子供から大人まで、
分かりやすさにこだわって作成されたものである。
私にも面白く分かりやすい内容であった。
いくつか誤植もあったが、それはあとがきにあったように
急いで書いたせいかもしれない。
しかし、それはささやかのことである。
この本はいい。
(ISBN4-416-20612-6 C0044)
を読んだ。
白尾氏の月に関する本だ。
月については、科学的なデータ集はもっていたので
不自由は感じなかったが、
この本を読んで、まさに月の基本がわかった。
天文写真のプロといっても良い白尾氏が
あえてイラストで説明をしたのは、
そのほうが分かりやすいからである。
この本は子供から大人まで、
分かりやすさにこだわって作成されたものである。
私にも面白く分かりやすい内容であった。
いくつか誤植もあったが、それはあとがきにあったように
急いで書いたせいかもしれない。
しかし、それはささやかのことである。
この本はいい。
2006年11月21日火曜日
39(280) 絶滅古生物学: 2006.11.21
平野弘道著「絶滅古生物学」
(ISBN4-00-006273-5 C0044)
を読んだ。
古生物学を絶滅という視点で捉えたものである。
著者の主張はよくわかる。
地球の歴史を解明するためには、
古生物学的情報は不可欠である。
それはあまりに記載的である。
現在の科学の進歩や方向性からは
なかなか古生物学の研究が評価されないのは
学問の性格上仕方がないような気がする。
もっとのびのびと学問できる環境が必要だ。
このような学問は博物館のようなところで
もっと主力を移してやるべき分野のような気がする。
そして、子供や市民に古生物学の面白さを
伝えていくべきであろう。
研究者養成は、大学の地質学や生物学を専攻したものが、
博物館で専門の訓練を受けながら
行うのが理想的ではないだろうか。
(ISBN4-00-006273-5 C0044)
を読んだ。
古生物学を絶滅という視点で捉えたものである。
著者の主張はよくわかる。
地球の歴史を解明するためには、
古生物学的情報は不可欠である。
それはあまりに記載的である。
現在の科学の進歩や方向性からは
なかなか古生物学の研究が評価されないのは
学問の性格上仕方がないような気がする。
もっとのびのびと学問できる環境が必要だ。
このような学問は博物館のようなところで
もっと主力を移してやるべき分野のような気がする。
そして、子供や市民に古生物学の面白さを
伝えていくべきであろう。
研究者養成は、大学の地質学や生物学を専攻したものが、
博物館で専門の訓練を受けながら
行うのが理想的ではないだろうか。
38(279) 島物語I: 2006.11.21
灰谷健次郎著「島物語I」
(ISBN4-04-352025-5 C0193)
を読んだ。
以前にも読んだ記憶があるのだが、
新入生用の推薦図書の候補として、再度読んだ。
面白くいろいろ考えさせられる内容であった。
現実にこのようなことが
可能なのだろうか疑問に思うこともある。
しかし、これは小説なのだ。
伝えたいことがあっての虚構である。
著者の伝えたいことについて考えをめぐらすべきであろう。
(ISBN4-04-352025-5 C0193)
を読んだ。
以前にも読んだ記憶があるのだが、
新入生用の推薦図書の候補として、再度読んだ。
面白くいろいろ考えさせられる内容であった。
現実にこのようなことが
可能なのだろうか疑問に思うこともある。
しかし、これは小説なのだ。
伝えたいことがあっての虚構である。
著者の伝えたいことについて考えをめぐらすべきであろう。
2006年11月15日水曜日
37(278) 砂場の少年: 2006.11.15
灰谷健次郎著「砂場の少年」
(ISBN4-04-352024-7 C0193)
を読んだ。
35歳の臨時採用の中学校教師が
「札付き」のクラスを担当させられる。
しかし、教師と生徒が理解しあうことで
より深い教育について考えていくものである。
小説である。
最近急遽小説をいくつか読み出した。
新入生に入学前のガイダンスとして、
書籍を指定し、感想を書くというものがある。
そのための素材探しである。
灰谷健次郎は以前結構読んでいた。
今ではほとんど忘れている。
しかし、教育を扱った内容が多いので、
今後も読み進めていこうと考えている。
(ISBN4-04-352024-7 C0193)
を読んだ。
35歳の臨時採用の中学校教師が
「札付き」のクラスを担当させられる。
しかし、教師と生徒が理解しあうことで
より深い教育について考えていくものである。
小説である。
最近急遽小説をいくつか読み出した。
新入生に入学前のガイダンスとして、
書籍を指定し、感想を書くというものがある。
そのための素材探しである。
灰谷健次郎は以前結構読んでいた。
今ではほとんど忘れている。
しかし、教育を扱った内容が多いので、
今後も読み進めていこうと考えている。
36(277) 眼の誕生: 2006.11.15
アンドリュー・パーカー著「眼の誕生」
(ISBN4-7942-1478-2 C0040)
を読んだ。
カンブリアの大爆発とよばれる生物の飛躍的進化が
光を感じる眼の進化によるものであるという説が
展開されている。
「光スイッチ」と呼ばれるものである。
当たり前のように見える説であるが、
今までだれも真剣に唱えてこなかったものである。
当たり前に見える説であるから、
非常に多くの面から論じられている。
なかなか面白い説だと思う。
しかし、古生物の進化を考えるときいつも
仮説と真実について考えてしまう。
進化とはあくまでも説にすぎない。
人間の自然の見方といってもいい。
だから進化を支配する要因を考えるのは、
もっと実証困難となる。
現在の生物の環境への適応や小進化ですら、
現象は捉えることができても、
その本当の原因は完全にはわからない。
説をつくっても、それが唯一の解であり、
真実だという証明ができないからだ。
古生物の進化とは過去のできごとである。
だから、論理として一番もっともらしいものが
もっとも真理に近いと考えざる得ない。
そんな当たり前のことであるが、
有力な説が真理だと間違って伝わることには
注意が必要だ。
そんなことを考えた。
(ISBN4-7942-1478-2 C0040)
を読んだ。
カンブリアの大爆発とよばれる生物の飛躍的進化が
光を感じる眼の進化によるものであるという説が
展開されている。
「光スイッチ」と呼ばれるものである。
当たり前のように見える説であるが、
今までだれも真剣に唱えてこなかったものである。
当たり前に見える説であるから、
非常に多くの面から論じられている。
なかなか面白い説だと思う。
しかし、古生物の進化を考えるときいつも
仮説と真実について考えてしまう。
進化とはあくまでも説にすぎない。
人間の自然の見方といってもいい。
だから進化を支配する要因を考えるのは、
もっと実証困難となる。
現在の生物の環境への適応や小進化ですら、
現象は捉えることができても、
その本当の原因は完全にはわからない。
説をつくっても、それが唯一の解であり、
真実だという証明ができないからだ。
古生物の進化とは過去のできごとである。
だから、論理として一番もっともらしいものが
もっとも真理に近いと考えざる得ない。
そんな当たり前のことであるが、
有力な説が真理だと間違って伝わることには
注意が必要だ。
そんなことを考えた。
2006年10月21日土曜日
35(276) 松井教授の東大駒場講義録: 2006.10.21
松井孝典著「松井教授の東大駒場講義録」
(ISBN4-08-720321-2 C0244)
を読んだ。
やはり私の考えに通じるものがある。
まるで私の考えをWEBで見ているのかと思うほど
似ている内容がいくつもあった。
科学的な知識の最新情報では、
もちろん彼は専門家でもあり、
学生や院生がたくさんいるであろうから、
太刀打ちする気はない。
しかし、本質的な思想部分では
私自身がいろいろリジナリティを
持っているつもりであるが、
その点が似ているのが気になる。
もちろん私しかない部分もあるが、
やはい似ている点があると気になる。
そのオリジナリティや優先権を守るには、
はやり書くことである。
少しでもはやく公開してその記録を残しておくことである。
この本を読んでそう感じた。
(ISBN4-08-720321-2 C0244)
を読んだ。
やはり私の考えに通じるものがある。
まるで私の考えをWEBで見ているのかと思うほど
似ている内容がいくつもあった。
科学的な知識の最新情報では、
もちろん彼は専門家でもあり、
学生や院生がたくさんいるであろうから、
太刀打ちする気はない。
しかし、本質的な思想部分では
私自身がいろいろリジナリティを
持っているつもりであるが、
その点が似ているのが気になる。
もちろん私しかない部分もあるが、
やはい似ている点があると気になる。
そのオリジナリティや優先権を守るには、
はやり書くことである。
少しでもはやく公開してその記録を残しておくことである。
この本を読んでそう感じた。
2006年10月3日火曜日
34(275) シーケンス層序と水中火山岩類: 2006.10.03
保柳康一・松田博貴・山岸宏光著
「シーケンス層序と水中火山岩類」
(ISBN4-320-04684-6 C3344)
を読んだ。
フィールドジオロジーという専門書の4巻である。
地層の解析が進んでいることがわかった。
しかし、地域の詳細に入っているような気がする。
もっと次元の大きなものへとなるには、
広域的なデータがもっと集まらないとダメなのかもしれない。
そうなれば、これらのシーケンス層序学も
もっと大きな地球の環境変動へと話がつながり、
学際的広がりを見せるであろう。
しかし、その前にはやはり詳細な記載を
積み重ねていく必要があるのだろう。
「シーケンス層序と水中火山岩類」
(ISBN4-320-04684-6 C3344)
を読んだ。
フィールドジオロジーという専門書の4巻である。
地層の解析が進んでいることがわかった。
しかし、地域の詳細に入っているような気がする。
もっと次元の大きなものへとなるには、
広域的なデータがもっと集まらないとダメなのかもしれない。
そうなれば、これらのシーケンス層序学も
もっと大きな地球の環境変動へと話がつながり、
学際的広がりを見せるであろう。
しかし、その前にはやはり詳細な記載を
積み重ねていく必要があるのだろう。
33(274) 地球の内部で何が起こっているのか? 2006.10.03
平朝彦・徐垣・末広潔・木下肇著
「地球の内部で何が起こっているのか?」
(ISBN4-334-03314-8 C0244)
を読んだ。
2005年7月に竣工した地球深部探査船「ちきゅう」に
まつわる研究課題や内容の紹介である。
こんな巨大研究はまるでバブルの頃の研究だが、
これからが勝負である。
日本はこのような巨大研究にお金をつぎ込んでいる。
カミオカンデ、スーパーカミオカンデ、Spling8、
地球シミュレーター、天体望遠鏡すばる、やはぶさ
などなど、それぞれが成果を挙げてきている。
今度が「ちきゅう」である。
「ちきゅう」の中心メンバーが紹介している本である。
一読の価値がある。
「地球の内部で何が起こっているのか?」
(ISBN4-334-03314-8 C0244)
を読んだ。
2005年7月に竣工した地球深部探査船「ちきゅう」に
まつわる研究課題や内容の紹介である。
こんな巨大研究はまるでバブルの頃の研究だが、
これからが勝負である。
日本はこのような巨大研究にお金をつぎ込んでいる。
カミオカンデ、スーパーカミオカンデ、Spling8、
地球シミュレーター、天体望遠鏡すばる、やはぶさ
などなど、それぞれが成果を挙げてきている。
今度が「ちきゅう」である。
「ちきゅう」の中心メンバーが紹介している本である。
一読の価値がある。
2006年9月10日日曜日
32(273) 人類は絶滅する: 2006.09.10
マイケル・ボウルター著「人類は絶滅する」
(ISBN4-02-250069-7 C0045)
を読んだ。
生物進化のパターンを化石データベースから
解き明かそうという試みである。
そのとき用いた考え方は、冪乗則である。
冪乗則の考えで生物進化のパターンを解明して、
そこから未来予測をしようという考えである。
最近の生物絶滅のパターンは、急激で
これは、冪乗則の巨大雪崩が
起きているのではないかというのである。
その原因が人類ではないかというのである。
筋は通っているが少々根拠が薄いように感じる。
しかし、この冪乗則を生物進化に当てはめられるというのは
誰もが感じていたことを方程式で示したことに意味があると思う。
(ISBN4-02-250069-7 C0045)
を読んだ。
生物進化のパターンを化石データベースから
解き明かそうという試みである。
そのとき用いた考え方は、冪乗則である。
冪乗則の考えで生物進化のパターンを解明して、
そこから未来予測をしようという考えである。
最近の生物絶滅のパターンは、急激で
これは、冪乗則の巨大雪崩が
起きているのではないかというのである。
その原因が人類ではないかというのである。
筋は通っているが少々根拠が薄いように感じる。
しかし、この冪乗則を生物進化に当てはめられるというのは
誰もが感じていたことを方程式で示したことに意味があると思う。
2006年9月8日金曜日
31(272) 気候変動+2℃: 2006.09.08
山本良一責任編集「気候変動+2℃」
(ISBN4-478-87108-6 C0033)
を読んだ。
時代ごとに気候変動に関する情報が
整理されているので分かりやすかった。
温暖化反対論者の伊藤氏も書いているし、
地球シミュレータの計算結果も大々的に使われているので
なかなか面白いものとなっている。
そしてシミュレータ側の人間は
これはあくまでもある前提ある理論に基づいた
ひとつの計算結果であることを強調している。
どうしてもその結果だけが、一人歩きしている
それが怖いところである。
そんなことを考えた。
(ISBN4-478-87108-6 C0033)
を読んだ。
時代ごとに気候変動に関する情報が
整理されているので分かりやすかった。
温暖化反対論者の伊藤氏も書いているし、
地球シミュレータの計算結果も大々的に使われているので
なかなか面白いものとなっている。
そしてシミュレータ側の人間は
これはあくまでもある前提ある理論に基づいた
ひとつの計算結果であることを強調している。
どうしてもその結果だけが、一人歩きしている
それが怖いところである。
そんなことを考えた。
30(271) 堆積物と堆積岩: 2006.09.08
保柳康一他著「堆積物と堆積岩」
(ISBN4-320-04683-8 C3344)
を読んだ。
出かけている間に読んだ本だ。
堆積学の基礎に関する本だが、
最近専門が違っているので
このような本を読んでいなかった。
当たり前のことだが、進歩している。
堆積物に対する考え方が深まっている。
個別の地域史から、一般論へ。
一般論から地域史へという循環が繰り返されている。
そんなことをしばらく見ていなかったので、
なかなか勉強になった。
そして著者が同級生でもあるので、
感慨ひとしおである。
(ISBN4-320-04683-8 C3344)
を読んだ。
出かけている間に読んだ本だ。
堆積学の基礎に関する本だが、
最近専門が違っているので
このような本を読んでいなかった。
当たり前のことだが、進歩している。
堆積物に対する考え方が深まっている。
個別の地域史から、一般論へ。
一般論から地域史へという循環が繰り返されている。
そんなことをしばらく見ていなかったので、
なかなか勉強になった。
そして著者が同級生でもあるので、
感慨ひとしおである。
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