2002年9月16日月曜日

46 大学で何を学ぶか: 2002.09.16

46 大学で何を学ぶか: 2002.09.16 
加藤諦三著「大学で何を学ぶか」
(ISBN4-334-70132-9 C0137)
を読んだ。

昔読んだ本だ。
今は、この内容を、学生に教える立場だ。
さすがにいい言葉が、ちりばめられている。

「「泳げるようになるまでは水に入らない」という者は、
永久に泳げるようになれない」
まずは、やること。 

「大学の時代は、与えられる時代ではなく、
獲得の時代だということを忘れてはいけない」

ケネディの言葉を引いている。
「アメリカの同胞諸君。
諸君の国が諸君のために何をなしうるかを問いたもうな。
諸君らが 国のために何をなしうるかを問いたまえ」
つまりは、大学で自分が何をするかを考えるべきである。

毛沢東の言葉。
「何かを成そうとする人間は、
金が無く、若くて、 かつ無名で無ければならない」
そして加藤氏はいう。
「もともと人生とは何もない。
人生を使って何をするか、
それによって、人生が大きくもなり、 小さくもなる。 
もともと人生に意味があるわけでもなく、
無意味なわけでもない。
どう生かによって人生は無意味にもなるし、意味も持つ」

「すべての人は、自分の人生をただの一度も
あやまちをおかさないで生きて死ねるものではない」
「人間にできることはどこで立ち直るか、
それともさらに進路を歪めるかの選択だろう」
「人間の価値が問われるのそこなのだ。
創造性とか発想力とかを問題にする前に、
自分の心の中の反省を明日の生活に生かせるかどうか、
それができる人間こそ、価値あると思う」

「もし自分に価値があると思っているとしたら、
その、のぼせ上がった気持ちを素直に改め、
また、自分に価値がないと思っているならば、
その劣等感を捨てないかぎり、
そこか、ぎくしゃくした人生になるだろう」

「人間の価値観がかたよるということの恐ろしさを知ってほしい。
だからこそ、大学で、立ち止まって、
いままでとはちがった動機にもとづいて
行動してみることをすすめすのである 。
ほんとうの自分を見つけるために。」

「大学で学ぶうちにつかみとるものの一つとして、
僕は人生の正しい姿勢をあげておきたい。
自分は何をめざして生き、
どう生きていけば真の生き甲斐が得られるのか。
それを四年間問いつづけて行動しつづけてほしい」

ニーチェの言葉。
「ほとんどいかなる苦しみにも、
それに意味があれば耐えられる」
「よし!人生が無意味なら私はそれに一つの意味を与えよう。
自分の手で、生き甲斐ある人生を創ろう。
もう一度! と喜び迎えるような人生をつくろう」
加藤氏はいう
「自由とは自分にとって価値のあることに
自分をささげることができるということではないだろうか。
禁欲を学ぶこと、
それも自由への道であころことを知ってほしいのである」

「自ら最終的なものとして選択した結果にあやまりがあったら、
選択をしなおせばいいのである。
そのときははっきりと自分の失敗を認めて
選択し直す、ということである」

「見栄にふるまわされず、
かえってそれをふり捨てている人間は、
他人に対して点をかせきどうなどはほとんど思わず、
ただ自分の良心に対してだけ点をかせごうと思うものだ」

「必然性は教わることであるが、
可能性は学ぶことである」