2002年9月7日土曜日

45 ロゼッタストーン解読: 2002.09.07

レスリー・アドキンズ、ロイ・アドキンズ著「ロゼッタストーン解読」
(ISBN4-10-541601-4 C0020)
を読む。
今回イギリスで見るつもりのロゼッタストーンに書かれた文字の
解読にまつわる話である。
フランス人のジャン=フランソワ・シャンポリオンが解き明かしたのであるが、
そのライバルたちからの誹謗、中傷、妨害にあいながらも、
病気と貧困に打ち勝って、
1822年、31歳のとき、ヒエログリフの解読に成功した。
彼の熱意、彼の努力、そして弱音、人間としてのシャンポリオンがわかった。
そして、彼のエジプト学に対する情熱も伝わった。

ロゼッタストーン発見の経緯は、以下のようであった。
1979年7月19日、エジプトに遠征していたナポレオンは、
上エジプトの古代遺跡の科学的研究と正確な記録のために、2つの委員会をつくった。
その日、ロゼッタの北西数kmで、荒れ果てたラシッド要塞を
フランス軍が補強をしているとき、
「崩れかけた壁を取こわしているとき、
ドプールという名の兵士が、片面に碑文のある暗緑色の石版を発見した。
作業を監督していたピエール・フランソワ・ザビエル・ブシャール中尉は、
これは何か重要なものにちがいないと考え、
上官のミッシェル=アンジュ・ランクルに報告した。
ランクルが調べたところ、
三つの異なった文字で記された三つの碑文があることがわかった。
その一つがギリシア語であることは彼にもわかった。
もうひとつはヒエログリフで、残りは未知の文字だった。
ギリシア語の碑文を訳すと、
紀元前二〇四から一八〇年までエジプトを支配した
プトレマイオス五世エピファネスをたたえる、
紀元前一九六年三月二十七日という日付のある、
神官の布告であることがわかった。
三つの碑文は同一の内容を三つの異なる文字で記したものであって、
ヒエログリフ解読の鍵になるものと思われた。」
ロゼッタストーンは、高さ1.2m、重さ750kg。
23年の歳月をかけて、解読の競争がおこなわれた。

ロゼッタストーンが大英博物館にあるのは、次のような経緯からである。
ナポレオンが急遽フランスに戻り、全権を委任されたクレベール将軍は、
「イギリス軍とエジプトからのフランス軍の撤兵について交渉し、
合意が成立し、協定が調印された。」
18ヶ月におよぶ交渉で、
「学者たちはすべての記録と大部分の収集品を持ち帰ってよいことになったが、
しかし、イギリス側は貴重なロゼッタストーンをはじめ
重要なものを没収した。」
「ロゼッタストーンは最終的に、
一八〇二年末、大英博物館に保管された」

「質素な家や宮殿は生きているあいだしか使わないが、
墓は『永遠の家』だった。」

「古代エジプト人の書記が
自分たちの言葉は永遠に消えないと確信していたように、
シャンポリオンは古代エジプト人の格言、
「未来に向けて語るべし、
それは必ず聞かれん」
を信じていたのである。」