2001年2月23日金曜日

9 ●科学の終焉

J・ホーガン著「科学の終焉(おわり)」(ISBN4-19-860769-9)を遅ればせながら、読みました。著者は、一人の人間が、把握できるような科学的な発見はもはやないであろうということを、存命の名のある科学者、哲学者などからインタビューして書いたものです。内容には、承服できるところと、疑問を感じるところがあります。私自身は、科学は終わってないと思っています。そして、一人の人間が理解できる範囲で、それももっと面白いことが一杯これからも見つかると思っています。根拠はありません。一種の願望です。
この本のもう一つの面白いところは、1990年代前半に存命であった、一流の研究者にあってインタビューしているために、本でしか知らない著名人たちの、生きている姿を、ホーガンの言葉を通じてですが、見ることができるところです。そして、そのような迫力のある、あるいは癖のある著名人たちを相手に、ホーガンは怯むことなく(少し怯んだり、びびったりしていることもある)、自分の聞きたいことや反論をするところに、アメリカの知識人の強さと、個人主義に根ざしていると思われる人間として対等であるという姿勢が感じられる本でした。
最後に、アメリカではこのようなハードな内容の本が売れるということに感心します。この本は、日本でも、かなり売れたようで、文庫本化と続編の翻訳も出されています。しかし、本当に読んだ人、本当に読み終えた人、本当に面白いと思った人は、どれくらいいるのでしょうか。このようなハードな書籍をすんなり受け入れているアメリカの知的階級の多さに圧倒されます。
日本の出版業界では、例えば、数字の多用した本は売れないから数字は使わないようにとか、科学、中でも地球科学関連の書物は売れ行きが良くないから、敬遠するとかいう風潮があります。でも、アメリカでは、このようなハードな内容の本が数多く出されていることをうらやましく思います。例えば有名な古生物学者のグールドの書く、エッセイや専門書は、決して読者や市民に迎合、妥協していません。地質学の専門家でもある私でも難しいと思われるないようを書いて、どうどうと出版し、受け入れるアメリカ人にその底力を感じます。アメリカの科学あるいは知識人には、まだまだ終わりはないと思いました。これは私の思い過ごしなのでしょうか。